ささ圭(名取市植松)「三代目の新たな挑戦」明治大学2年 都築 優太

 生まれてからずっとかまぼこに囲まれて生きてきた。出身地が名取市閖上の佐々木堯さん(26)は、同市所在のかまぼこ店「ささ圭」の三代目として会社の経営、販売に携わる。創業当時と変わらない美味しさの手作り笹かまを、持ち前の人当たりの良さでPRする。現在会社は、同市内陸部の植松に本拠を構える。

 「閖上には戻れないと思った。これからどう生きようか、考えていた」。2011年3月11日、故郷閖上に大津波が襲うのを渋谷の街頭テレビで見た。想像を絶する光景に、呆然となった。東日本大震災が、その後の人生を大きく変えるきっかけとなった。当時は東京の大学に通う1年生だった。

 震災一ヶ月後、閖上に戻った。会社も工場も流されていた。廃業が必然の流れに思えたが、経営続行を決めた社長である父の決断に従うより他はなかった。

学業の傍ら、非常下の会社を手伝った。瓦礫のなかから笹かまの串を拾い続けた。「再開してね」、「頑張って」。常連客の声があった。ささ圭と閖上の人たちのつながりに気づいた瞬間だった。大学3年の冬、あやふやだった家業を継ぐ思いは確固としたものに変わった。

 現在閖上は、かさ上げ工事や家屋建設が進む。来年5月には大型商業施設も開設され、そのひとつには「ささ圭」が出店予定だ。この店は閖上の人々といつも共にあった。「ささ圭が閖上に店を出すのは目標と同時に、原点なんです」。語気を強め、堯さんは言う。

 震災前約5500人だった閖上の人口は、現在は1000人にも届かない。観光客も減り続け、経営の見通しは厳しい。収益力を上げるため、現在は海外販売戦略を打ち出している。精力的に東南アジア各国を飛び回る。「外国にも受けるかまぼこ」を日々考案中だ。

 震災から7年半がたった。今日も店頭にはにこやかに笑いかけ、笹かまを差し出す姿がある。閖上に笑顔を届ける3代目の挑戦は、始まったばかりだ。

河北新報社 記者と駆けるインターン

2012年夏にスタートした、大学生向けの記者体験プログラム。 東日本大震災の被災地で、人に会って話を聞き、大事なポイントを見つけ、限られた字数で記事にする―。 そうした体験は、ジャーナリスト志望者のみならず、どんな職種職業にもつながる「生きる力」を養います。 このブログでは、学生の活動成果である記事と、活動中の日々の様子などを随時発信していきます。 募集告知もこちらで行います。

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