梶農園 バラが咲く 心が咲く 上智大3年 松本日菜子



右手にはさみ、左手にはバラ。つぼみの状態を確かめながら茎の根元にはさみを入れ、優しく抱く。その数、ざっと30本。これ以上持たない。バラが傷むため、台車にも置かない。すぐに冷蔵施設に運び入れ、またバラ畑に戻る。


名取市高柳のバラ工房「梶農園」。代表を務める丹野敏晴さん(64)の後継者の岳洋さん(40)は品質を何よりも重視したバラ栽培に励む。1980年創業。宮城県内で最大規模を誇る約1万平方㍍の敷地に16棟のビニールハウスを構え、人気の白バラ「アバランチェ」など約40品種以上を水耕栽培する。年間出荷量は約100万本。仙台と東京の花き市場に送るほか、農園に併設する直売所でも販売する。


「花が咲く瞬間を楽しんでほしい」。新鮮さを保ったまま出荷することで、バラはお客さんの手元に届くころ花びらを広げ、咲き誇り、その姿を長く保つ。


結婚を機に、2006年に畑違いの世界に飛び込んだ。ようやく慣れてきた6年目の春、東日本大震災に遭遇。海岸から3㌔余り離れた農園は津波被害こそ免れたが、自身の大揺れで栽培設備が倒壊。3分の1のバラが売り物にならなくなった。


梶農園の前の通りは、市内で最も津波被害の大きかった閖上地区に通じる。運び出される多くの遺体。無数の悲しみが行き交った。「被害が大きすぎて、何も考えられなかった。周囲を気遣う余裕もなかった」。プロとして、生き残ったバラを守ることに専念すると決めた。震災から一カ月余り、わずかながらバラの出荷を再開し、5月には完全復旧させた。


震災直後の混乱が、少し落ち着いたある夜だった。自宅の台所に飾った一輪のバラが、ふと何気なく目に留まった。朝はつぼんでいた花びらが、見事な大輪を咲かせていた。毎日何万本ものバラと向き合っているはずだが、この夜はいつもより美しく見えた。


「バラは誰が見てもきれいに感じる花だと思う。それは眺める側の心に余裕とか、ゆとりがある証なんだよね」


震災から6年半。被害の復旧に血眼になった一時期を除き、岳洋さんの丁寧で誠実な仕事ぶりは変わっていない。今日も右手にはさみ、左手にはバラがある。



▼バラ一輪を手にとる岳洋さん。自分の心のゆとりをくれた、愛でる人の心に咲くバラを目指す。

河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。