約束の緑麺
仙台市青葉区川内にあるラーメン店「さわき」。
昭和60年に太白区八木山に店を構え、平成9年に東北大川内キャンパス近くの川内に移転した。28年間、営業を続けてきた。
東北大生で、さわきの看板メニュー「スタミナラーメン」を知らない人はほとんどいない、と言っても過言ではないと思う。
麺は緑色。スープに浮いている赤い、小さな塊は唐辛子。一口すすって、濃厚なニンニクの匂いとあまりの辛さに思わずむせる。食後に噛むガムをきちんと持ってきただろうか、と一瞬不安になる。
だが、箸が止まらない。
一口、また一口。
気が付くとどんぶりを平らげている—。
体育会系の学生を中心に、この独特のラーメンの熱狂的なファンは数多い。
【見るからに辛そうな唐辛子が浮かんでいる。麺は緑色で、スープにはニンニクがたっぷり。文字通り”スタミナ”をつけるにはもってこいだ。】
東日本大震災の時はわずか2日後の3月13日、いち早く営業を再開させた。常連客の学生のほか、大学に避難していた人たちも多く店を訪れた。
「あの時はお世話になった」。「なかなか手に入らない、温かいものが食べられて本当にうれしかった」。感謝の声は、2年経った今でも届けられる。
当時、店主はどのような思いだったのだろう?
私たちインターン生の突撃取材に対し、関西出身のオヤジさん(69)は快く答えてくれた。
「なんで近所の人はみんな、わざわざ公園で水を汲んでいるんだろうと思ったね」
震災直後、片付けのため、自宅のある八木山から店を訪れたオヤジさんは、そう思ったという。店では水道の蛇口をひねれば水が出たからだ。
だが、それは店の周辺ではさわきだけだったらしい。プロパンガスとガス式の給湯設備のおかげで、停電していたにもかかわらずお湯が供給できた。オヤジさんは、水とお湯を困っている人たちに提供することにした。赤ちゃんのいる母親には特に喜ばれたという。近隣の家では、ミルクを温めるためのお湯が沸かせなかったからだ。
そうしている時、常連の学生に言われた。
「さわきさん、店開けてもらえませんか?」
スタッフの数が足りない。野菜などの材料調達も困難だ。
しかし、食べ物に困っていた常連の頼みを無下にはできなかった。
できるだけお釣りのないようにと、ラーメン一杯を550円から500円に値下げして提供した。普段の緑麺が手に入らず、あわてて近所の製麺所から麺をかき集めた。麺は黄色だった。
「さわきが営業してるぞ」「麺が黄色だ」...。
さわきの営業再開は、クチコミで静かに広がっていき、多くの人々が訪れた。
「実は、震災1か月後にいきなり店をやめたくなったんだ。張りつめていた気持ちがいきなり切れたんだろうな」と苦笑するオヤジさん。
それなのに、どうして続けることができたのか?
「お客さんに、店を開けると約束したから。それに、どんどん客が来たらなんか閉められなくなっちゃって」
自分に与えられた条件の中でベストを尽くすことが大切だ、というオヤジさん。
その言葉に、客との約束を全力で守り、客を大切にしたいという確かな思いを感じた。
(大沼 遼@東北大3年)
昭和60年に太白区八木山に店を構え、平成9年に東北大川内キャンパス近くの川内に移転した。28年間、営業を続けてきた。
東北大生で、さわきの看板メニュー「スタミナラーメン」を知らない人はほとんどいない、と言っても過言ではないと思う。
麺は緑色。スープに浮いている赤い、小さな塊は唐辛子。一口すすって、濃厚なニンニクの匂いとあまりの辛さに思わずむせる。食後に噛むガムをきちんと持ってきただろうか、と一瞬不安になる。
だが、箸が止まらない。
一口、また一口。
気が付くとどんぶりを平らげている—。
体育会系の学生を中心に、この独特のラーメンの熱狂的なファンは数多い。
【見るからに辛そうな唐辛子が浮かんでいる。麺は緑色で、スープにはニンニクがたっぷり。文字通り”スタミナ”をつけるにはもってこいだ。】
東日本大震災の時はわずか2日後の3月13日、いち早く営業を再開させた。常連客の学生のほか、大学に避難していた人たちも多く店を訪れた。
「あの時はお世話になった」。「なかなか手に入らない、温かいものが食べられて本当にうれしかった」。感謝の声は、2年経った今でも届けられる。
当時、店主はどのような思いだったのだろう?
私たちインターン生の突撃取材に対し、関西出身のオヤジさん(69)は快く答えてくれた。
「なんで近所の人はみんな、わざわざ公園で水を汲んでいるんだろうと思ったね」
震災直後、片付けのため、自宅のある八木山から店を訪れたオヤジさんは、そう思ったという。店では水道の蛇口をひねれば水が出たからだ。
だが、それは店の周辺ではさわきだけだったらしい。プロパンガスとガス式の給湯設備のおかげで、停電していたにもかかわらずお湯が供給できた。オヤジさんは、水とお湯を困っている人たちに提供することにした。赤ちゃんのいる母親には特に喜ばれたという。近隣の家では、ミルクを温めるためのお湯が沸かせなかったからだ。
そうしている時、常連の学生に言われた。
「さわきさん、店開けてもらえませんか?」
スタッフの数が足りない。野菜などの材料調達も困難だ。
しかし、食べ物に困っていた常連の頼みを無下にはできなかった。
できるだけお釣りのないようにと、ラーメン一杯を550円から500円に値下げして提供した。普段の緑麺が手に入らず、あわてて近所の製麺所から麺をかき集めた。麺は黄色だった。
「さわきが営業してるぞ」「麺が黄色だ」...。
さわきの営業再開は、クチコミで静かに広がっていき、多くの人々が訪れた。
「実は、震災1か月後にいきなり店をやめたくなったんだ。張りつめていた気持ちがいきなり切れたんだろうな」と苦笑するオヤジさん。
それなのに、どうして続けることができたのか?
「お客さんに、店を開けると約束したから。それに、どんどん客が来たらなんか閉められなくなっちゃって」
自分に与えられた条件の中でベストを尽くすことが大切だ、というオヤジさん。
その言葉に、客との約束を全力で守り、客を大切にしたいという確かな思いを感じた。
(大沼 遼@東北大3年)
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