ラーメンのあたたかさ 主人の心意気

そのラーメンを一度食べたら忘れられない。

震災の思い出と共にその味を記憶している人も多いだろう。

東北大学川内キャンパス近くにあるラーメン屋「さわき」(仙台市青葉区川内)のラーメンだ。

東日本大震災が起きた2日後、店主(69)は店を再開した。日中でもまだ寒い3月。暖かいラーメンラーメンが食べたいと常連の学生から頼まれ、店を開ける決意をしたという。



震災前からの常連客の多くが学生だった。震災時、さわきのラーメンを食べたのはその学生たちでなく、周辺地域の被災した住民たちも数多くいた。



開業して今年で28年。麺が緑色のスタミナラーメンが一番人気。ほうれん草を練りこんだ麺は見た目にもインパクトがありスープを口に運ぶとニンニクの味が広がり、体が芯から温まる。腹の底から元気が湧いてくる。







震災の混乱時、さわきが営業しているという噂は口づてに広まった。



「本当は(常連の学生と)約束したから店を開けたんだけど、次から次へとお客さんがきちゃってさ、もう続けるしかなかったんだよなぁ」。主人は当時をそう振り返る。



市内全域でライフラインが途絶える中、さわきでは奇跡的に断水しなかった。ガスはプロパンで電気は3日後には回復したので、早々と営業できる環境が整った。麺は各地の製麺所からかき集めたため、緑色ではなくなった。きっと常連の方は黄色い麺に驚いただろう。野菜などの材料費が高騰したが、おつりが出ないようにとの配慮で五十円値下げし、一杯五百円で販売した。



当然ながら大赤字だったそうだ。



「あの時は無我夢中でずっとラーメン作ってたよ。それぐらいしか出来なかったんだ」



当時周辺地域では水が使えた場所は少なく、在宅被災者の多くが行き場の無い不安と共に過ごしていた。心も体も冷え切っていた人が多く、「さわきに行けば、温かいラーメンが食べられる」という口コミが瞬く間に広まったのだ。



ご主人はあくまで、「店を開いたのは一人の学生との約束のためだった」と話す。

しかし、多くの人々が食べ物に困っていたあの震災時、さわきのラーメンを食べた人々は、主人の温かい心意気を感じ取ったはず。

現在、お客さんの入りが震災前よりもさらに増えているそうだ。



開沼 達也@東北学院大学卒


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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