子どもの居場所を守りたい 一橋大学大学院 大賀有紀子

 津波が奪ったもののひとつに、子どもの遊び場がある。沿岸部は災害危険区域に指定され、子どもたちの遊び場だった公園やグラウンドには仮設住宅が建った。



 NPO法人冒険あそび場‐せんだい・みやぎネットワークは、宮城県内の小学校や仮設住宅へ、週一回木材や遊具を持ち込む「出張遊び場」を展開している。親代わりのスタッフに見守られ、子どもたちは木材を切ったり振り回したり。日頃騒げない鬱憤を晴らすように自由に遊んでいる。



 震災後、親が職探しに奔走したり、転校先が決まらないなど、子どもは心身共に居場所を失っている。あそび場スタッフの斉藤信三さん(34)は、被災地の子どもの何気ない一言にドキリとさせられる。「『やっと新しい家が建つんだ』とか『私が写っている写真が1枚でもあると嬉しい』と聞くと、言葉には現れない、子どもの失ったものの大きさを実感する」今年の4月に東京から派遣された斉藤さんにとって、あらためて被災地を意識する瞬間だ。



 そんな中、子どもの心の拠り所としても、あそび場が果たす役割は大きい。斉藤さんには忘れられない子どもがいる。母親が被災地へ仕事で派遣された寂しさから、あそび場で暴れる男の子がいた。しかしベーゴマが回せるようになり、他の子に教えてあげられるようになると、スタッフがいなくても遊べるようになった。その子の居場所があそび場にできた。「場に受け止められていると実感したんだと思う」。その子があそび場に来る回数が増えていった。



 世間は被災地の子どもにどう接するべきか。斉藤さんは「子どもが被災のつらさを言葉にするのは難しい。だから暴れたり壊したり、『津波ごっこ』で茶化す。それを『不謹慎だ』と大人の考え方で禁止してしまうと、子どもたちは震災のつらさやストレスを発散できない」と指摘。「『津波ごっこ』で茶化さなければ耐えられない程の、子どもの気持ちを受け止めるだけの広い遊び場を提供できるように、私たちも努力しなければ」



 斉藤さんはあそび場で、自作の木の剣を楽しそうに振り回す男の子を満足そうに見つめていた。





金槌と釘を使って剣を作っている子ども。時には怪我をしながら、学び、遊ぶ。




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河北新報社 記者と駆けるインターン

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