震災から1年半、迫られる現実 神戸大4年 山野翔太



 「あめ作りを再開したい気持ちはあるけれど、正直言って、半分半分」

宮城県名取市商工会臨時職員の高野俊伸さん(45)は、迷いの表情を見せる。



 高野さんは、被災した名取市の沿岸部・閖上(ゆりあげ)地区を訪れる観光客や行政関係者に同行し、震災当時の様子や自身の被災体験を話す「語り部」として活動している。震災当時の写真を片手に語られる記憶は、目の前の更地からは想像もできない。観光客からは大きな声とともにため息が漏れる。「自分の感じたことを、自分の言葉で広めてください」市内唯一の語り部は今年3月の始動以来、約2千人にメッセージを託してきた。





観光客を前に、震災当時の様子を語る高野さん



 高野さんにはもう一つの顔がある。100年続く老舗菓子屋「相馬屋」の3代目だ。看板商品の「黒飴(あめ)」は創業以来の味わいで、「のれんを代表するもの」。昔ながらの量り売りにこだわってきた。22歳の時からあめ一筋、10年前に父が亡くなってからは母と2人で看板を背負ってきた。身振り手振りを交え楽しそうにあめの作り方を話す高野さんに、「がんこ職人」の形容は似合わない。伝統を頑なに守ってきたが、津波で店が浸水、操業停止を余儀なくされた。



 「語り部をやっていてよかったと思える」高野さんは言う。「閖上という町が忘れられないためにも、語っていかなければならない」。しかし、菓子屋への思いも強い。「あめだけでも作りたい。ただ、再開しても食ってはいけない」。震災前の売上は芳しくなく、貯金を切り崩して生活していた。こだわりの菓子工場を復活させるには、多額の資金も必要だ。



 それでも、あめ作りへの思いが消えないのは「伝統とお客さんの声を大切にしたい」からだ。「『閖上と言えばあめ』と言ってくれる人もいる。そういう人にまた味わってもらいたい」。語り部の契約は来年の3月で切れる。その後どうするかは、まだ決め切れていない。



 震災は多くの人の人生を変えた。大きな決断を人々に強いた。あれから1年半。復興を目指す人々は、再び、思いと現実の間で大きな葛藤を抱えている。


--------

河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。