夕刊未掲載② 遊び場、みーっけ!

一橋大学大学院 大賀有紀子

宮城学院女子大学 鎌田知里

宇都宮大学 佐々木秋

東北工業大学 川名健介





 あの時、子どもたちは心の居場所をなくしていた。



 NPO法人「冒険あそび場—せんだい・みやぎネットワーク」は東日本大震災後の昨年5月から、仙台市沿岸部などの小学校や仮設住宅で「出張遊び場」を週1回開いている。

 ことし9月、あそび場にサッカーやキックベースなどで遊ぶ子どもたちがいた。親代わりのスタッフに見守られ、その表情は皆生き生きとしていた。



 だが、震災直後の様子は違っていた。

 あそび場で流行したのは「津波ごっこ」。地震発生時の場面を、母親や警察などの「配役」を決めて再現する遊びだ。震災で大切なものを失った人には不謹慎に映った。

 「子どもが被災のつらさを言葉にするのは難しい。だから暴れたり壊したりして昇華しようとする。それを叱ってしまうと、子どもは不安や恐怖を発散できない」

 4月に応援スタッフとして東京から来た斉藤信三さん(34)の目には、被災地の子どもたちは我慢し、縮こまっているように見えた。



 忘れられない男の子がいる。母親が被災地へ派遣された寂しさから、あそび場で暴れていた。スタッフがベーゴマ遊びに誘ってみた。上手に回せるようになると、他の子に教えるようになり、みんなと一緒に遊べるようになった。

 斉藤さんは「自信や余裕が生まれ、場に受け止められていると感じたのだと思う」と話す。

 暴れ、物を壊し、「津波ごっこ」でちゃかさなければ耐えられないほど傷ついた子どもたち。大人たちが必死に生活と向き合う地域にあって、あそび場は、遊びを通して気持ちを外に出せる唯一のよりどころだったのだろう。



 「親や学校に心のよりどころが戻り、あそび場がなくなる日がくればいいと思う。でも今は、少しでも子どもたちが自分を解放できる、より広いあそび場を作りたい」

 子どもが家庭や学校で心から笑い、泣ける日が待ち遠しい。その日まで、「冒険あそび場」は子どもたちの心の居場所であり続ける。





 【説明】スタッフと一緒にボードゲームで遊ぶ子どもたち=仙台市若林区日辺の冒険あそび場
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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。