夕刊未掲載① あめ屋と語り部
東北福祉大3年 黒澤真侑子
東北福祉大3年 相原里咲
宮城学院女子大3年 古瀬元子
神戸大4年 山野翔太
「今日、閖上(ゆりあげ)を見て感じたことを身近な人に伝えてください」。宮城県名取市商工会臨時職員の高野俊伸さん(45)は訴えかけた。
高野さんは、東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けた名取市沿岸の閖上地区を訪れる観光客や行政関係者の視察などに同行し、震災当時の様子や被災体験を伝える「語り部」として活動する。写真を手に語られる震災以前の光景は、目の前の更地からは想像もできない。「閖上という町がみんなの記憶から消えていくのが嫌なんです」。市内唯一の語り部は今年3月の活動開始以来、約2千人にメッセージを託してきた。
高野さんには、もう一つの顔がある。閖上の地で100年以上続いた「相馬屋菓子店」の3代目。看板商品は創業以来の味を守る「黒飴(あめ)」だ。10年前に父を亡くし、母と2人で切り盛りしてきた。しかし津波で店舗を失い、営業停止を余儀なくされた。それでも、あめの話になると、言葉は熱を帯びる。「あめ作りは時間が勝負。熱いうちにすぐ丸めなきゃ」。手の甲にはいくつものやけどの痕。30年以上繰り返した動きを、身振り手振りを交えて語る。
震災以降、地元の人と顔を合せるたびに「もうあめ屋はやらないの?」と声を掛けられる。しかし、即答はできない。「たとえ店をまた開けることが出来ても、あめだけで生活していくのは難しいからね」。補助金を活用し、閖上を離れて店を復活させることもできたが「閖上にあってこその相馬屋でしょ」。地元へのこだわりは強い。
語り部としての役目は当面、来年3月で終わる。その後どうするかは、まだ決め切れずにいる。震災から1年半がたっても、迷いは軽くなるどころか、深まるばかりだ。
「今度は復興した閖上を見に来てください」。案内の最後に、高野さんはいつも観光客に呼び掛ける。多くの思いを内に宿して。
震災の被害を語る高野さんと、真剣に聞き入る観光客
--------
東北福祉大3年 相原里咲
宮城学院女子大3年 古瀬元子
神戸大4年 山野翔太
「今日、閖上(ゆりあげ)を見て感じたことを身近な人に伝えてください」。宮城県名取市商工会臨時職員の高野俊伸さん(45)は訴えかけた。
高野さんは、東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けた名取市沿岸の閖上地区を訪れる観光客や行政関係者の視察などに同行し、震災当時の様子や被災体験を伝える「語り部」として活動する。写真を手に語られる震災以前の光景は、目の前の更地からは想像もできない。「閖上という町がみんなの記憶から消えていくのが嫌なんです」。市内唯一の語り部は今年3月の活動開始以来、約2千人にメッセージを託してきた。
高野さんには、もう一つの顔がある。閖上の地で100年以上続いた「相馬屋菓子店」の3代目。看板商品は創業以来の味を守る「黒飴(あめ)」だ。10年前に父を亡くし、母と2人で切り盛りしてきた。しかし津波で店舗を失い、営業停止を余儀なくされた。それでも、あめの話になると、言葉は熱を帯びる。「あめ作りは時間が勝負。熱いうちにすぐ丸めなきゃ」。手の甲にはいくつものやけどの痕。30年以上繰り返した動きを、身振り手振りを交えて語る。
震災以降、地元の人と顔を合せるたびに「もうあめ屋はやらないの?」と声を掛けられる。しかし、即答はできない。「たとえ店をまた開けることが出来ても、あめだけで生活していくのは難しいからね」。補助金を活用し、閖上を離れて店を復活させることもできたが「閖上にあってこその相馬屋でしょ」。地元へのこだわりは強い。
語り部としての役目は当面、来年3月で終わる。その後どうするかは、まだ決め切れずにいる。震災から1年半がたっても、迷いは軽くなるどころか、深まるばかりだ。
「今度は復興した閖上を見に来てください」。案内の最後に、高野さんはいつも観光客に呼び掛ける。多くの思いを内に宿して。
震災の被害を語る高野さんと、真剣に聞き入る観光客
--------
0コメント