「発信」のための「発進」

こんにちは。石川奈津美@慶應義塾大学卒です。



インターン9日目の今日は、デジタル編集部の相原研也デスクの取材に同行しました。より深い取材につなげるヒントを得ようと、プロの仕事を見つめました。







お邪魔したのは、仙台市宮城野区扇町の「仙台中央タクシー」です。

同社は2012年10月、「語り部タクシー」という取り組みをスタートさせました。



タクシーの運転手が「語り部」となって、乗客に津波の被災地を案内。要所要所で車を降りては、被災地のかつての姿や被災直後の状況、その後の復興の進み具合などを説明します。



スタートからまだ半年足らずですが、利用客は既に900人。

一回の案内は、おおむね3人1組のケースが多く、車を出した回数にすると300回を数える計算です。



乗客の中には初めて被災地に足を踏み入れる人もいて

「震災の現状がよくわかった」「また訪れたい」と話す人もいるそうです。



案内役のドライバーは、現在31人。震災に関するさまざまな知識を問う社内の試験に合格した人だけが務めることができます。試みは他社にも好評で、語り部の育成に動き出す同業者も出て、4月から宮城県内のタクシードライバー全体で120人になります。



相原デスクが話を聞いた神田稔さん(37)は語り部ドライバーのリーダーです。当初は外部から「被災地を見せ物にするのか」という批判の声にさらされたそうです。



それでも「地元の企業として、地域の復興を支えたい」との思いから、批判に対しては試みの趣旨を丁寧に伝えて、理解を求めてきました。



「自分たちにできることは、自分たちでやらないといけないと思うんです。ドライバーが被災地で生計を立て暮らしていくことも、被災地復興の一歩。被災地の経済を回すことも、われわれのできる被災地支援です」



揺るがない姿勢は次第に共感を呼び、非難の声は徐々に賛同の声に変わっていきました。



日下高徳さんの案内で、被災地を走りました。







巡った先は、仙台市若林区荒浜地区、名取市閖上地区、そして仙台空港周辺。







車中、日下さんは「被災地の話を話すのは、正直つらかった。やりたくなかったよ」と打ち明けました。

語り部としてハンドルを握るのは3回目。当初は役を引き受けること自体、迷っていたそうです。



それでも、気持ちが吹っ切れたのは、同僚からの一言でした。

「その目で被災地を見てきたんだから、やりなよ」



日下さんは震災後、震災取材に駆け回る報道機関の人たちを乗せ、

津波被災地を駆け回りました。仙台市生まれの日下さんにとっては、いずれの地も、思い出いっぱいの場所でした。







「ここではよく花火もしたし、海では釣りもしたんですよ」



過去を振り返るのがつらくても、気持ちを込めて話すことが、訴える力になると分かりました。



案内最後、こんな一言で見送られました。

「自分の家族や友人など周りの人にも、この体験をぜひ話してくださいね」



来月で震災から丸2年。震災の風化に抗うのは難しいのかもしれません。

それでも、語り部タクシーは発進します。

被災地のいまを発信するために。





--------

河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。