心に寄り添う葬式 ごんきや ワカツク2班
大内春睦(ワカツク)
内藤勘太郎(ワカツク)
高八卦まな(ワカツク)
「故人を思い、しっかりと悲しむ場が必要なのです」。仙台市と塩釜市に本社を置く葬祭業の老舗「ごんきや」専務佐藤知樹さん(38)は語る。「葬式というものは遺族が次のステップに進むための大切な時間であり、同時に生きることを学ぶ場でもあります」。幼いころから多くの人の死に向き合ってきた確信だ。
悲しむ場が必要と語る佐藤専務
創業198年。地元では葬儀屋の代名詞になるほどの知名度を誇る。7代目の父の背中を見ながら、わずか4歳から店頭に立ち、高校生にして葬儀の司会まで経験した。「葬儀屋の子どもって、いじめの対象になりやすいんですよ。『人の死を食い物にしている』みたいな感じでね。だけど、この職業がなかったら、みんなが困るんですよね」。傷心を抱えても、家業を継ぐことに迷いはなかった。
多くの人の死に向き合うことで培われた死生観と遺族との距離感は、経営者となって大きな支えとなった。東日本大震災では、多賀城市の施設が津波被害を受けて閉鎖に追い込まれた。そんな渦中にあっても、「葬祭業の責務」と心して、数多くの震災犠牲者の葬儀を執り行った。
災害によって奪われた無念の死に、遺族は戸惑い、悲しみにくれる。震災後の被災地で、十分な見送りができない境遇にあっても、できるだけ厳かな雰囲気の中で故人と向き合う時間を提供する。「言葉にはしませんが、これは自分たちにしかできない仕事だと思っています」。葬儀屋の矜持を再確認する日々が続いた。
確かに、「これは仕事」と割り切っていても、故人と遺族に親身に寄り添おうとすればするほど、心の中はかき乱される。遺族に気取られぬように、舞台裏で涙を拭うこともある。それでも悲しみを「最期のお世話ができることが幸せ」と捉え直し、それを感謝の念に変えて、また次の死と向き合う境地を得てきた。震災後の短期間に、たくさんのいたたまれぬ死と向き合った経験は、「生きるということ」を再確認する機会でもあった。
佐藤さんの言葉を借りれば、葬祭業はかつて「働き口がない人が流れ着く職業」だったという。死を扱う辛さと難しさに耐えきれず、中途で辞める人も多かったという。
だが、ごんきやはそんな業界に風穴を開けようと挑んできた。社員に葬祭ディレクターという国家資格の取得を勧めてプロとしての自覚を促し、やる気を引き出した。その結果、新入社員が入社3年以内に辞めたケースはゼロ。確かな志を持った社員が前線に立つことで、遺族ら顧客の安心感や信頼感が高まり、サービズ水準は格段に上がった。
人は誰でも必ず最期の時を迎える。その大事な節目に立ち会い続けてきた者として夢見るのは、仏壇に日常的に手を合わせる家庭を増やすことだ。「先祖に感謝する気持ちを忘れないでほしい」との思いから、小さくてモダンなデザインの「現代仏壇」の販売を始めたのはその一歩。暮らしの中に合掌の機会を少しでも増やそうと工夫を凝らす。
「葬儀という伝統や故人に手を合わせるという習慣を守りたいからこそ、変えていかなくてはならないことがある。そのためにこれからも挑戦し続けます」
命に、故人に、遺族に、寄り添い続ける求道は続く。
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