着物でつながる、世代を超えた思い  奥江呉服店  G班

金野正史(国際自然環境アウトドア専門学校2年)

水上奨之(東北学院大2年)

金森なつ実(東北大3年)

小林智都(慶應義塾大3年)






母との思い出が詰まった着物の無残な姿に、言葉を失った。東日本大震災からひと月余りたった2011年4月中旬。仙台市若林区荒浜の南部くに子さん(72)は、津波で3キロ流された自宅から、泥とカビにまみれた薄紫の着物が見つかったことを、娘からの電話で知った。



震災前に、孫娘に成人式の振袖をあしらってくれた呉服店の名が浮かんだ。若林区荒町の奥江呉服店。27点の着物や小物が、「着物が好きだから、元に戻したい」という南部さんの思いと一緒に託された。



奥江呉服店は1921年創業。若女将の佐藤東代さん(45)によると、荒浜地区には同店の常連客が多い。震災直後には、津波をかぶった着物や小物ざっと400点が同店に持ち込まれた。



洗いや加工は、それぞれの専門業者に依頼する。繊維が縮んだり、溶けたりした着物は直せないが、わずかでも修復の可能性があれば、全国各地に電話をかけ続けた。



「復元を頼んだ取引先も、うちと何度も連絡を取り合いながら苦労してくれました」。佐藤さんは振り返る。





奥江呉服店若女将の佐藤東代さん=仙台市若林区荒町





辛かったのは、修復不能な着物の処分。「着物は何世代も受け継がれるものだし、宝物なんです。それなのに捨てなければいけないのは、心苦しかったですね」



薄紫の着物は、幼かった南部さんが蚕から絹糸を紡ぎ、母親が糸を染めて作った母子の共同作品。南部さんは現在、若林区の七郷中央公園仮設住宅で暮らす。居室が2部屋しかなく、収納も狭い。まだ薄紫の着物は手元に戻っていないが、修復の工程を聞いた南部さんは「あんなに一生懸命直してもらってねえ、奥江呉服店さんには本当に感謝しています」と話す。



「着物には、世代を超えて家族のつながりを感じさせてくれる力がある。呉服店は、できることをしているだけ」と佐藤さん。「だって、私達は90年間お世話になっているんです」と、老舗の誇りを少しだけのぞかせた。


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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