それぞれの3年  東北大2年 立田祥久

あの日すべてを飲み込んだ海は、静かに輝きを放っています。


凍てつく空気の中を、ちらちらと粉雪が舞います。


 


「あの日は、もっと寒かったんだよ」


 


2011年3月11日、東日本大震災の津波により自宅と工場を流された宮城県名取市の笹かまぼこ店


「ささ圭」の女将、佐々木靖子さんの言葉の一つひとつが、「あの日」ここで起きたことの甚大さを物語っています。


 


インターン6日目。今日は被災地にとって特別な日です。震災から3年、佐々木さんの案内で名取市閖上地区を訪れました。


太平洋に面した閖上地区はささ圭の本社、三つの工場、そして佐々木さんの自宅があった場所です。


 


震災前の閖上地区には約7000人が暮らしていたそうです。3年前、20メートルの津波が地区を襲いました。


死者は800人以上。今も40人の行方が分かっていません。


 


最初に訪れたのは、閖上のシンボルになっている高さ10メートルほどの小高い丘「日和山」。


地区が一望できる山頂で、全員で線香をたむけ、手を合わせました。


 



 


次に足を運んだ閖上中学校では、震災で14人の生徒が亡くなったそうです。


一人ひとりの名前が刻まれた慰霊碑に手を当てて、それぞれの在りし日の姿を思い浮かべました。


 


閖上小学校の体育館は、ガレキの中から見つけられた品々の保管場所になっていました。


泥にまみれたアルバム、古びたランドセル、無数の位牌…。


 


訪れたそれぞれの地で、僕たちインターン生26人は多くを感じ、祈りを捧げました。


時々言葉を詰まらせる佐々木さんの姿に、こちらも胸が熱くなりました。


 


昼食は内陸部にある仮設商店街「閖上さいかい商店街」で頂きました。


 



 


入居店舗の一つ「匠や」さんのお弁当に、隣接する「ささ圭」さんのかまぼこが付きます。


お腹も心も満たされました。ごちそうさまでした。


 


午後2時、僕たちは名取市文化会館に向かいました。


「東日本大震災 名取市追悼式」に参列するためです。


 



 


会場は神聖な空気に包まれていました。


白い小菊などで永久の平和を表現した祭壇の中央には、「東日本大震災犠牲者之御霊」と記された柱が立っています。


 


そして迎えた、14時46分。


 


「黙祷」


 


会場が静寂に包まれます。何百人もの人がいることが信じられないほどの静けさです。


集まったすべての人が、「あの日」に思いを馳せます。


そして、幾多の浮沈があったであろう3年の歩みを、それぞれが振り返ります。


 


東日本大震災から3年の節目。


いま我々にできることは何か、各種メディアが取り上げています。


自分は、インターンの1日目に聞いた河北新報の寺島英弥編集委員の言葉を思い返しました。


 


「大切なことは、いつまでも寄り添うこと」


 


自分にとっての「寄り添い方」とは…。


 


己に問い、模索を続けながら、4年目を歩みます。


 


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。