人々をつなぐ、七夕飾り    慶応大3年 肥田佳那

 


 


「見て見て。あれ僕が作ったんだよ」


父母に挟まれて歩く子どもが足を止め指を指す。


先にはアーケードを彩る七夕飾りの中にある、鶴だ。


よく見ると一羽ずつ表情が異なる。


 


東日本大震災の後、仙台七夕まつり会場の一角で見かけるようになった光景だ。


 


「七夕飾りには愛が込められている」。


山村蘭子さん(82)は鳴海屋紙商事(仙台市若林区卸町)で仙台七夕まつりに使用される七夕飾りを作っている。


飾りを作り続けて30年以上のベテランだ。


 


 



七夕飾りに愛を込める山村蘭子さん=仙台市若林区卸町の鳴海屋紙商事本社


 


 


鳴海屋は企業の注文を受けて飾りを制作する。


担当するのは、例年まつりに使用される飾りの3分の2、約1500個。


紙の裁断機を使う以外は全て手作業で、冬から制作が始まる。


 


本来七夕は商店街の店が飾りを自作するものだった。


高度経済成長期、県外からくる企業が増え、鳴海屋が七夕に馴染みのない外部企業に飾り作りを教えているうちに、それが商売になった。


自作する店が少なくなり、七夕は市民だけのまつりではなくなってきた。


 


東日本大震災で、鳴海屋の本社は壊れ、紙の裁断機が使えなくなった。


一時はまつりの中止が検討された。例年通り飾り作りはすでに始まっており、準備はできていた。


「七夕を絶やしたくない」と山村さんはまつりの開催を望んだ。


 


後押しとなったのは、取引先の熱意だった。


以前からの取引先に加え、新たに10社からの注文があった。


地元だけでなく外部企業も、情熱をもって注文していることを山村さんは再確認した。


作り手と取引先の想いが通った瞬間だ。震災が起きた年以降も注文は減っていない。


 


「七夕飾りを通して人々がつながっていってほしい」。


山村さんは各地で飾り作りの指導を行っている。


震災がきっかけで発足した「星に願いを」プロジェクト。


仙台市内の小中学生8万人、それぞれが復興の願いを込めて、鶴を折った。


山村さんは講師として参加した。


今後もこのプロジェクトに関わっていく予定だ。


子供が制作にかかわったと聞けば、父母や知人が見に訪れる。


そうして七夕を通じて輪が広がる。


山村さんは七夕が持つ力を信じて、七夕文化を後世に伝えていく。


 


 


 


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。