「セリ鍋 」 ブームで終わらせない  東北大3年 立田祥久

茎がシャキシャキ、根っこはコリコリ。


セリ鍋を囲む人々の音が、食欲をそそる。


仙台市内の居酒屋が競って提供する「仙台セリ」。


地元のフリーペーパーで取り上げられたり、愛好会が結成されたりと、近年ブームを呼んでいる。


 


「みんなが地元の野菜を食べてくれるのは、うれしいねえ」。


顔をほころばせるのは、名取市下余田で仙台セリを栽培する大内繁徳さん(50)。


8代続く農家の長男で、地区のセリ出荷組合の組合長だ。


現在は40の農家を取りまとめている。


宮城県のセリ出荷量は全国1位を誇る。


中でも下余田地区は、東京ドーム2個分のセリ田が広がる県内屈指の産地だ。


四季を通じて一定の水温の澄んだ地下水が、良質なセリを育む。


大内さんは四半世紀にわたって、この地でセリを作り続けてきた。


 



「末永く愛されるセリを作りたい」とほほ笑む大内さん=3月中旬 名取市下余田


 


 


東日本大震災では自宅が半壊。


沿岸部にある組合の排水設備は津波で機能を停止した。


地下水の循環が滞ったことで田の水温が低下し、自慢のセリは色を落とした。


それでも栽培を続けた。


震災後の「非日常」の中でも、伝統野菜のセリを食べて「日常」を感じてほしかったから。


「味と栄養価に問題はない」と、10日後には組合農家のセリを集荷して自分のトラックで市場へ運んだ。


「簡素な食事が続く中で、栄養価の高いセリを食べてほしかった」。


避難所にも配り、喜ばれた。


 


震災直後もセリが食卓に並んだことで、地元野菜の良さが再認識された。


セリを主役に据える「セリ鍋」のブームが起きたのはその証。


市内のパン屋や仮設商店街の惣菜屋からも注文が入るようになる。


大内さんのセリ栽培が、地域に活気を与えている。


 


一面緑のセリ田から海側へ2キロの美田園地区には、いまだ仮設住宅が立ち並ぶ。


先の見えない不安の中で「日常」を模索する人々と、隣り合わせの生活が続く。


400年の歴史がある「仙台セリ」。


伝統野菜を震災以前と変わらず栽培し続けることが、復興の一助になると信じている。


「できることを地道に」。


ブームを支える組合長としての決意だ。


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。