「土台」支えて42年 茨城大3年 後藤結有

仙台市宮城野区、梅田川沿いの住宅街。


公園や家が続く静かな町並みの一角に、作業場と事務所が一体となった小さな町工場がある。


1つの建物に3つの企業が同居している。


その中の1つが、ボイラ販売・整備会社「東日本ボイラ」である。


 


1972年創業。


従業員数は7人の家族経営。


菊池亨社長(41)は昨年10月、父親の敏夫会長(68)から経営を引き継いだ。


弟の忍取締役(37)と従業員を束ねる、新米社長だ。


 



 


「ボイラーって結構使うのにね、工場の隅っこだったり、ビルの地下だったり。じみーな感じなの。なかったらみんな困るのにね」


亨社長は、少しさみしげな表情で話す。


飼料の乾燥工程、クリーニング屋のアイロンスチーム、病院の手術用器具の滅菌・・・。


ボイラーは、わたしたちの生活を支える土台である。


 


東日本大震災時、復旧を求めるSOSが相次いだ。


ボイラーの多くは、強い揺れと津波による浸水に耐えられなかった。


最初に依頼を受けたのは、太白区長町にある公衆浴場「鶴の湯」。


いち早く営業を再開させるため、応急処置を施した。


営業再開後、鶴の湯には1日500~600人ほどが押し寄せた。


 


お風呂を求める人々で、駐車場は埋め尽くされた。


冬の寒さが残る3月の風は、順番を待つ人の体温を容赦なく奪っていく。


敏夫会長の発案で、子連れ客をボイラー室に避難させた。


ボイラーから発せられる温もりと菊池会長の気配りは、寒さに凍える被災者を心身に染みた。


中には、嬉し涙を流す人もいたという。


 


ボイラーのサイズは通常、大人の男性の背丈をはるかに越える。


重さが10トンを越えるものもある。


燃料を燃やすことによって、蒸気やお湯を作り出すのが役目。


重さ、熱、可燃物…。


修理や設置、メンテナンスの作業は、常に危険と隣り合わせだ。


仕事に対する物怖じしないボイラー屋の姿勢を支えるのは、現場で培った数多くの経験である。


 


依頼された仕事を正確にこなし、お客様の信頼に答える「お客様第一」の姿勢でボイラーに向き合って42年。


「目標は100年続く会社、就職したい会社ナンバーワンになること」


会社の未来を語る新米社長の眼差しは、熱い。


 


 


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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