浜一番の潜水漁師、愛する故郷の海と生きる
A班
法政大3年 小林愁
東北大大学院修士1年 尾崎希海
法政大3年 丸山耀平
同志社大3年 梅村雅
法政大3年 小林愁
東北大大学院修士1年 尾崎希海
法政大3年 丸山耀平
同志社大3年 梅村雅
◇ ◇ ◇
早朝6時。
暁の海に、一人の男が飛び込みました。
仕事場は、水面下30メートル。
昇りはじめた太陽の光が、透き通った海の奥深くまで射し込み、きらきら輝きます。
宮城県石巻市の牡鹿半島・鮎川浜。
東日本大震災の大津波を受けた地で、男が今日も海に出ます。
暁の海に、一人の男が飛び込みました。
仕事場は、水面下30メートル。
昇りはじめた太陽の光が、透き通った海の奥深くまで射し込み、きらきら輝きます。
宮城県石巻市の牡鹿半島・鮎川浜。
東日本大震災の大津波を受けた地で、男が今日も海に出ます。
漁師もアワビも一級品
成田浩幸さん(47)は、鮎川浜で数少ない潜水漁師です。
ドライスーツに酸素ボンベやおもりを腰や両足に身につけます。
重さは計30キロ。
ひとつひとつ手で獲るアワビは、傷つきにくく、
活きのよいまま水揚げします。
「海は、庭だね」。口元がゆるみました。
ドライスーツに酸素ボンベやおもりを腰や両足に身につけます。
重さは計30キロ。
ひとつひとつ手で獲るアワビは、傷つきにくく、
活きのよいまま水揚げします。
「海は、庭だね」。口元がゆるみました。
笑顔を見せる成田浩幸さん
成田さんの仕事場は、世界三大漁場として知られる金華山沖。
親潮と黒潮の潮目にあたり、エサとなるワカメなど海藻が豊かです。
さらに津波で、海底のヘドロや岩場にこびりついた古い海藻が入れ替わる
「磯洗い」が起きました。
海藻をたっぷり食べた天然アワビは、
殻からこぼれんばかりに大きく育ちます。
親潮と黒潮の潮目にあたり、エサとなるワカメなど海藻が豊かです。
さらに津波で、海底のヘドロや岩場にこびりついた古い海藻が入れ替わる
「磯洗い」が起きました。
海藻をたっぷり食べた天然アワビは、
殻からこぼれんばかりに大きく育ちます。
アワビは身がしまり、刺身では磯の香りとコリコリした歯ごたえ。
焼けば柔らかさの中にも弾力がしっかりあります。
バター焼きやステーキ、炊き込みご飯にもおすすめです。
焼けば柔らかさの中にも弾力がしっかりあります。
バター焼きやステーキ、炊き込みご飯にもおすすめです。
成田さんが獲った天然アワビ(左)。養殖アワビとの差は顕著です。
あの日、鮎川浜
石巻市中心部から、曲がりくねった半島の道を南にゆくこと1時間。
先端にある鮎川浜は、かつて捕鯨基地として大いに賑わいました。
しかし今、人影はほとんどありません。
あの日、震源地に最も近かったこの地域。
家の基礎部分だけ残る土地には、いまも茶色い雑草が生い茂り、
津波のすさまじさと時間の経過を物語ります。
先端にある鮎川浜は、かつて捕鯨基地として大いに賑わいました。
しかし今、人影はほとんどありません。
あの日、震源地に最も近かったこの地域。
家の基礎部分だけ残る土地には、いまも茶色い雑草が生い茂り、
津波のすさまじさと時間の経過を物語ります。
成田さんは震災当日、漁を終えて自宅へ戻ったところ、
激しい揺れに襲われました。
真っ先に近所で暮らす母親のもとに駆けつけ、
一緒に高台に避難しました。
「茶色の泥水がバリバリバリって音をたて、家を飲み込んでいった」。
自宅は残りましたが、船3隻と作業用倉庫、
潜水に必要な装備品すべてを失いました。
激しい揺れに襲われました。
真っ先に近所で暮らす母親のもとに駆けつけ、
一緒に高台に避難しました。
「茶色の泥水がバリバリバリって音をたて、家を飲み込んでいった」。
自宅は残りましたが、船3隻と作業用倉庫、
潜水に必要な装備品すべてを失いました。
成田さんが避難した高台からみた鮎川浜
それでも、浜を離れることは全く考えませんでした。
2011年7月に漁を再開したとき、迷いはなかったといいます。
2011年7月に漁を再開したとき、迷いはなかったといいます。
「俺には、海しかない」
18歳で岩手県の商船専門学校を卒業し、
その後2年間、捕鯨会社で捕鯨船に乗りました。
20歳で父親と2人で独立し、若くして鮎川の地で自分たちの船を持ちました。
「いろいろな魚を獲ったな」。
30歳を過ぎて、潜水士の資格をとりました。
20歳で父親と2人で独立し、若くして鮎川の地で自分たちの船を持ちました。
「いろいろな魚を獲ったな」。
30歳を過ぎて、潜水士の資格をとりました。
「人と違うことをしたかった」。
鮎川浜で当時、潜水漁師はいませんでした。
潜水漁を始めてまもなく、父親が病気で亡くなりました。
成田さんは一人で海に潜り続けます。
「漁船の網の中に入ったり、速い潮の流れに巻き込まれたり」。
九死に一生の経験も重ね、腕を磨きました。
潜水漁を始めてまもなく、父親が病気で亡くなりました。
成田さんは一人で海に潜り続けます。
「漁船の網の中に入ったり、速い潮の流れに巻き込まれたり」。
九死に一生の経験も重ね、腕を磨きました。
「俺には、海しかない」。
成田さんの“獲物”は、ウニ、ナマコ、ホヤ、そしてアワビです。
アワビは多いときで一日500キロ獲ります。
「海は実力次第。そこがいい」。
卸業者のヤマサ正栄水産代表、阿部慎也さん(39)は、
「このあたりのアワビはモノがいいから、漁師の腕は量に表れる。
人の2倍近く獲ってくるし、波が大荒れでも成田さんだけは潜る。職人だよ」。
成田さんに寄せる信頼は絶大です。
成田さんの“獲物”は、ウニ、ナマコ、ホヤ、そしてアワビです。
アワビは多いときで一日500キロ獲ります。
「海は実力次第。そこがいい」。
卸業者のヤマサ正栄水産代表、阿部慎也さん(39)は、
「このあたりのアワビはモノがいいから、漁師の腕は量に表れる。
人の2倍近く獲ってくるし、波が大荒れでも成田さんだけは潜る。職人だよ」。
成田さんに寄せる信頼は絶大です。
アワビの水揚げ=2014年11月15日午前11時頃
「浜をほっとけないさ」
大震災から3年半を過ぎた鮎川浜の復興は進んでいません。
漁師の数は半分以下に減ったといいます。
成田さんには娘が2人いますが、漁師ではなく別の仕事をしています。
妻の雪江さんは「継いでほしい気持ちはあります」と漏らします。
漁師の数は半分以下に減ったといいます。
成田さんには娘が2人いますが、漁師ではなく別の仕事をしています。
妻の雪江さんは「継いでほしい気持ちはあります」と漏らします。
アワビ漁を終えた成田さん夫婦と阿部さん(左から2人目)ら=2014年11月15日
「浜はなんもねぇよ」という成田さんですが、
故郷に変わらぬ思いを持ち続けています。
「震災後、北海道にも仕事の手伝いに行ったけど、
(鮎川浜を)ほっとけないさ。なんだかんだ好きだからよ」。
家族のことを語るかのような温かな眼差しでした。
故郷に変わらぬ思いを持ち続けています。
「震災後、北海道にも仕事の手伝いに行ったけど、
(鮎川浜を)ほっとけないさ。なんだかんだ好きだからよ」。
家族のことを語るかのような温かな眼差しでした。
明日も夜明けとともに、「庭」に潜ります。
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