一枚の重み 胸に 東北学院大3年 山口真依

きれいに復元された写真を手に、女性は涙ぐんだ。「これで夫を送り出せる」。悲嘆の中に、安どの表情が浮かんだ。


2011年3月の東日本大震災後、仙台市宮城野区東仙台の「佐々木写真館」には、津波で傷んだ写真の修復依頼が相次いだ。代表の佐々木公則さん(64)はでき上がった男性の遺影写真を女性に手渡し、「お互いがんばろう」と小さく声をかけた。


写真館は津波の被害を受けなかったものの、撮影の仕事はほとんどキャンセルになった。佐々木さんは震災翌日、消防団員として最寄りの沿岸部で生存者の捜索や遺体の収容に当たった。眼前の惨状に精神的に追い込まれ、「もう店を閉めよう」と考えるほどだった。


震災から1週間ほどが過ぎると、修復の依頼者が訪れ始めた。「この1枚しか残ってないんです」


はるばる石巻市から来た遺族がいた。幼子の遺影を求める母親も訪れた。


迷いは吹っ切れた。同情することよりも、「被災地の写真館としてやれるだけのことはやろう」と心に決めた。


写真を受け取りパソコンに向かう。「なんとかきれいにしてあげたい」との一心だった。スキャナーで読み取り、画面で傷や色あせを直した。泥まみれのアルバムも持ち込まれた。写真を1枚ずつ丁寧に取り出し、ぬるま湯に浸しながら汚れを取った。洗濯ばさみでつるされた数十枚の写真がスタジオ内で揺れた。


無我夢中だった。何枚の写真に向き合ったか、覚えていない。「30枚だったか、40枚だったか」。客の顔も、写真の構図も、すべては災禍の幻のようだった。


「こんなにきれいにしてくれたんですね」「ありがとうございます」。客の涙交じりの笑顔が忘れられない。


写真は一瞬を封じ込める。七五三、成人式、結婚式、退職祝い…。人の生涯と家族の歩みを記録し、見る人の心に思い出とともに生きる。


「カシャッ」。佐々木さんは震災で再確認した「一枚の重さ」を胸に、「とっておきの1枚になるように」とシャッターを切る。


 



【写真への想いを語る佐々木公則さん=仙台市宮城野区東仙台5丁目】


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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