B班原稿 水産加工・高橋徳治商店「おとうふ揚げに込めた感謝の思い」
津田塾大3年 大石真由
東北学院大3年 鈴木恵
法政大2年 池田隆平
国際基督教大1年 宮曽根郁
東北学院大3年 鈴木恵
法政大2年 池田隆平
国際基督教大1年 宮曽根郁
東日本大震災後の2011年10月、
石巻市の水産加工業「高橋徳治商店」は商品づくりを再開した。
第一弾は、タラのすり身と豆腐で出来た看板商品の「おとうふ揚げ」。
味の復活に喜び合う中、3代目社長の高橋英雄さん(64)だけは試食品に不満が残った。「このままではダメだ。震災前をはるかに超えるものを作らなくては」。
その後5日間かけて作った1000キロが、店頭に並ぶことはなかった。
石巻市の水産加工業「高橋徳治商店」は商品づくりを再開した。
第一弾は、タラのすり身と豆腐で出来た看板商品の「おとうふ揚げ」。
味の復活に喜び合う中、3代目社長の高橋英雄さん(64)だけは試食品に不満が残った。「このままではダメだ。震災前をはるかに超えるものを作らなくては」。
その後5日間かけて作った1000キロが、店頭に並ぶことはなかった。
1905年創業の同社は震災前、3つの工場を持ち、さつま揚げやちくわなど、
合成調味料や防腐剤を使わない無添加練り製品の製造、販売を行ってきた。
3.11の津波ですべての工場は壊されたが、青森や鹿児島からも駆けつけた、
取引先を中心としたのべ1500人以上のボランティアがヘドロをかき、
器具を洗い、製造ラインの早期復旧を後押しした。
合成調味料や防腐剤を使わない無添加練り製品の製造、販売を行ってきた。
3.11の津波ですべての工場は壊されたが、青森や鹿児島からも駆けつけた、
取引先を中心としたのべ1500人以上のボランティアがヘドロをかき、
器具を洗い、製造ラインの早期復旧を後押しした。
商品づくりを再開した矢先の出荷停止。
英雄さんの真意を、スタッフは理解できなかった。
次男で営業部係長代理の敏容さん(31)も
「こみ上げてきたのは怒りしかなかった」という。
英雄さんの真意を、スタッフは理解できなかった。
次男で営業部係長代理の敏容さん(31)も
「こみ上げてきたのは怒りしかなかった」という。
だれよりも恩を感じていた英雄さんは
「お世話になった人たちには、お礼をしてもしきれない。
お返しするには、復活した商品を食べてくれた人たちが
『あの時協力して良かった』と心から思えるようなものを
作れるようなスタッフにならなければいけない」と訴えた。
「お世話になった人たちには、お礼をしてもしきれない。
お返しするには、復活した商品を食べてくれた人たちが
『あの時協力して良かった』と心から思えるようなものを
作れるようなスタッフにならなければいけない」と訴えた。
社長の気持ちを受け止め、スタッフの意識が変わってきた。
いま、何が足りないのかを1人1人が考え、
0.01パーセント単位で塩加減を調整し、
加熱温度も一度単位で気を配るようになった。
おとうふ揚げは、1カ月以上かかって出荷を再開した。
いま、何が足りないのかを1人1人が考え、
0.01パーセント単位で塩加減を調整し、
加熱温度も一度単位で気を配るようになった。
おとうふ揚げは、1カ月以上かかって出荷を再開した。
【おとうふ揚げの味を確認して納得の笑みを浮かべる高橋英雄さん】
2013年には東松島市に製造拠点を移した。
自家発電装置を備えるとともに、
災害時に食べ物や電気を提供する災害協定を市と結んだ。
自家発電装置を備えるとともに、
災害時に食べ物や電気を提供する災害協定を市と結んだ。
「苦労した分、地域の人に同じ思いはさせたくない。
自分たちの持っているものすべてを非常時に提供したい」。
協力してくれた全ての人に、地域の人に、今の世の中に対し、
「自分は何ができるか」を探しながら、英雄さんの挑戦は続く。
自分たちの持っているものすべてを非常時に提供したい」。
協力してくれた全ての人に、地域の人に、今の世の中に対し、
「自分は何ができるか」を探しながら、英雄さんの挑戦は続く。
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