閖上の現状 進む風化 法政大学2年 池田隆平

昨晩インターン4日目の夜、河北新報社の営業部の方々との親睦会がありました。

報道・編集現場のデスクの方々とは違った視点で話を聞くことができ、充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございます。



インターン5日目のブログ担当は法政大学2年の池田隆平です。


 


今朝はいつもより少し早い9時に河北新報社に集合し、名取市に本店を構えるかまぼこ屋「ささ圭」のおかみさんである佐々木靖子さん(62)とともに震災による津波の被害が大きかった街である名取市閖上(ゆりあげ)に向かいました。


 



 


私自身閖上に行くのは今日が初めてでした。名取市の市街地から閖上に向かっていくにしたがって周囲の景色が建物だらけのところから徐々に津波で建物が流されて何もない景色に変わっていくのが分かり、まるでそこだけ時が止まっているかのようでした。石でできた階段を使って30秒ほどで上れる高さの日和山に着いて、佐々木さんの話を聞いた後、東日本大震災で犠牲になった人へ祈りを捧げてきました。佐々木さんによれば、震災前の閖上は5000人ほどの街で、震災当日は3000人ほどが閖上にいて、そのうち900人近くが亡くなり、今でも数十人ほど安否が確認されていないとのことです。


 


日和山には「地震があつたら津波の用心」と書かれている石碑がありました。東日本大震災の前にも津波が来ており、石碑はそのときの教訓として作られたのですが、閖上の人の多くが石碑のことを知らず、当時の教訓を生かせず、多くの人が津波に巻き込まれてしまいました。


 


佐々木さんが勤めている「ささ圭」の本社工場も震災による津波で流されてしまい、本店のみが残りました。佐々木さんの話を聞いたことで震災による津波の被害を次の世代に伝えていかなければならないと感じました。


 





次に向かったのはさいかい市場です。さいかい市場は震災の翌年2月に作られ、来年の2月で4年になります。さいかい市場は主に震災前閖上で店を開いていた花屋や総菜屋など約20店がプレハブの建物で店を営んでいます。さいかい市場は閖上が本来の街の姿を取り戻すまでのもので、「また閖上に戻って店を開きたい」という声もあれば、「もうさいかい市場が無くなったら店もやめる」という声もあり、全員が閖上に戻りたいわけではないことを知り、少し複雑でした。


 


 


今日、津波の被害が大きかった閖上とさいかい市場を見学して感じたのは震災の風化が進んでいることです。さいかい市場で店を営んでいる人によれば、「さいかい市場が始まって最初の3年間はたくさんの観光客が来てくれたけど今年に入ってからはめっきり人が来なくなってしまった」そうです。また、「行政の震災担当者も今年に入って外されてしまい、閖上のことを忘れられてしまっているのではないか」と話す人もいました。今日目の当たりにした光景や閖上で聞いてきた話を忘れず、これからのインターンを充実したものにしていきたいです。


最後に震災で亡くなられた方へのご冥福をお祈りします。


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。