「地域に愛される寿司屋を目指して」 桜美林大3年 安部朋海

「いらっしゃい、今日は何にするかい」。人懐こい笑みを浮かべる板前の、威勢のいい声が店内に響く。和を基調とした落ち着いた店内には、地元の人や、家族連れなど、多くの客で賑わう。多賀城市八幡にある「遊食処 すしの貴伸」の大将、髙橋伸司さん(49)は毎日板場に立ち、一つ一つ寿司を丁寧に握る。


高校卒業後、大学進学を志し、地元、大崎市古川から仙台へ。鮮魚店で下宿生活を始める。「魚は種類が多く、美味しい食べ方も様々。奥深く、学ぶことが沢山」。店主の言葉に心を動かされ、大学進学でなく、板前の世界へ足を踏み入れた。


10年間の修業期間を経て、板前として塩釜に自分の小さな店を構えることができた。


「何かシメにラーメンでも作ってくれよ」。開業間もない頃だった。28歳で、一人前の板前として見られるには程遠いものの、寿司屋としてのプライドを持つ髙橋さんにとって、常連になり始めた客の言葉は、心外だった。「それならば」。とっさの思いつきで、茶碗蒸しにたっぷりのうにのあんかけを乗せて出したところ、大好評。「うにの茶碗蒸し」は店の看板メニューとなった。


寿司店の経営は軌道に乗った。塩釜のお店をたたみ、多賀城で3店舗を営業するまで成長する。売上も伸び、順風満帆の日々が続いていた。


2011年3月、東日本大震災の津波で、全店営業不能となり、髙橋さんは途方に暮れる。再開か。店を閉じるか。葛藤の日々は半年間続いた。


「失ったものは大きいが、何が大切か見直すきっかけとなった」。同年9月、比較的被害の少なかった1店舗で、再開させる。震災前は、売り上げばかり追いかけていたが、今度は自分のペースで、地元に愛される寿司屋として地域に根ざしていきたい、と決意を新たにする。


鮮魚店、塩釜での営業。「縁」が髙橋さんの板前という夢を支えてきた。入り口の暖簾に書かれている「今日の出会いを大切にします」をモットーに、今日もおもてなしの心を持って客を出迎える。



(朗らかな表情で寿司を握る髙橋さん)


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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