「虫の目」 早稲田大3年 荘司結有

「記者と駆けるインターン」は4日目!本日のブログ担当は早稲田大3年の荘司結有(しょうじ・ゆう)です。

今日は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪ねました。

閖上に向かうバスの車中では、大泉さんから「自助」の大切さを学びました。自分がいざという時に備えていなければ、他の誰かを助けることは難しい。「自助」の底上げをすることで「共助」の力も大きくなるのです。

誰かが助けを待っている―災害時に誰かの存在を思い浮かべられる余裕を持てるように日頃から防災の備えをしようと思いました。

閖上地区で案内をしてくださったのは、語り部をしている長沼俊幸さんです。

初めにインターン生は「日本一低い山」と呼ばれる日和山に登りました。

山と言っても、高さ6.2メートルの小高い人口の丘。

周囲が一望できる山頂に立ち、この地で失われた多くの命に手を合わせました。

土地のかさ上げ工事や復興住宅の建設が進み、長沼さんは「かつて暮らしていた場所は見知らぬ町のようになってしまった」と言います。そんな中でも「日和山は思い出をよみがえらせてくれる大切な場所だ」と長沼さんは話しました。

【日和山で手を合わせるインターン生】

そして、震災の伝承施設である「閖上の記憶」を訪ねました。

震災後の閖上の歩みを伝える10分間の映像を鑑賞した後、長沼さんが自身の体験を話されました。長沼さんは閖上にあった自宅ごと約2キロ、津波で内陸部へと流され、雪も降る極寒の夜を一晩、屋根の上で過ごしました。それでも、津波犠牲者の姿を直接目撃することはなかったそうで、地元で多くの人々が亡くなったことを知ったのは震災から2日後でした。

「閖上に津波は来ない」

住民の多くが、「根拠のない言い伝え」(長沼さん)を妄信し、その中で起きた悲劇。昭和8年に閖上にも津波は来ていたのに、その史実は地域に語り継がれることなく、あの日を迎えました。

大震災の伝承は、どうあるべきか─。

記憶が薄れる前に、後世に伝えることこそが、次の災害で犠牲を生まない一歩になる。震災を語ることは、「過去の継承」だけでなく、「未来の防災」にも繋がると学びました。

【自身の震災当日の体験を語る長沼さん】

「心の復興曲線」

長沼さんが阪神・淡路大震災の被災地から言葉です。

人は前向きな気持ちになれる時もあれば、過去にとらわれて沈んでしまう時もあるのが一般的です。

その波が、極端に少なく平坦な人もいれば、ギザギザと浮き沈みが激しい人もいる。

「被災地」「被災者」と言えども、一人一人の心も有り様は一律ではありません。

閖上の現状もまた、被災地の全てではありません。

それでも、そこに暮らす長沼さんという「1人」に出会えたことは、

空から被災地全体を見渡す俯瞰ではなく、

被災者の確かな現実として被災地の今に向き合うきっかけになりました。

鳥の目、虫の目─。

遠くにいると、被災地全体をざっくりとつたえる「鳥の目」の報道だけで

現地を知ったつもりになりがちです。

しかし、現場で長沼さんの肉声に触れ、「虫の目」で被災地の実相を確かめる重みを知りました。

【閖上の記憶に展示されている粘土細工。閖上で被災した子供たちが3.11を再現した】

長沼さんとお別れした後は、皆で「閖上さいかい市場」へ。

昼食を食べた後は各自で突撃インタビュー!

花屋、洋服店、写真館...。

インタビューを快く受け入れてくださり、市場の人たちのあたたかさに触れました。

【婦人服店店主を囲むインターン記者たち】

帰途のバス車中、朝が早かったこともあり、あくびや疲れの表情もあります。

しかし、インターンはここからが本番!

明日からいよいよメーンである企業取材が始まります。

今日まで学び、感じたことを、明日からの取材でも発揮できるように、17人は気を引き締めます。

【昨日の1コマ】

B班4人と我らが大泉デスクで地元の牛タンの名店「若」に行きました!

分厚くアツアツのお肉と冷たいお酒は至福のひと時です。

仙台で牛タンを食べるなら、ぜひ「若」へ!

長沼さんは別れ際、「20年後にまたお出で。家族や子供と一緒に」と握手をしてくれました。

「虫の目」の大切さを、次世代へとつなぐのは、私たち一人一人だと教えてくれました。



河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。