ついて行けるのか? 関西大2年石河恵理

  本日18日、「記者と駆けるインターン2019春」が始まりました。

  初回のブログは関西大の石河恵理です。仙台は日中、日差しが暖かく感じられました。それでも「雪への幻想」を抱く東京出身、関西在住の私は、寒さを恐れつつも雪を恋う13日間となりそうです。

 プログラム第一弾は、河北新報社防災・教育室長、武田真一さんの講話でした。武田さんは震災発生当時は報道部長。取材現場を統括する重責がどれだけだったかは、震災直後の様子をまとめたドキュメンタリー「河北新報のいちばん長い日」を読み、さらに本をベースにしたドラマも観たことから、多少は知った気持ちでいました。しかし、武田さんの肉声を聞くうちに、むしろ「いま聞いている話は、ドラマ以上にリアルだ」という実感が押し寄せて、「知ったつもりになっていた自分」は塗り替えられていきました。

 

 印象に残った言葉の一つは「被災現場においては、記者も被災者のひとり」でした。津波で自宅兼仕事場である支局を流された宮城県南三陸町の記者が、被災地の姿を電話で伝え、それを仙台のデスクらが記事の文章に起こしたというエピソードや、被災地発の記事にはすべて記者の署名をつけて出稿したという話には、当時の緊迫した空気と被災地に迫ろうとする書き手の熱気が感じられました。

 あの大震災の翌日も河北新報は朝刊を届けました。すると、受け取った読者の中には、涙を流す人もいたそうです。「これだけ大変な事が起きていたのかという驚きや悲しみもあったけれど、いつものように新聞が届いたことへの安心感もあっただろう」と武田さん。このの言葉に、公器としての新聞の確かさや心強さを実感しました。言い換えると、新聞に乗せて読者に届けているものは、単なる「情報」や「事実」だけでなく、「社会と個人のつながり」「日常のリズム」といった「安心」につながるメッセージなのだとの説明に、深く納得しました。

武田さんは、こうも言っていました。「業界に関わらず、どんな仕事も『命』に向き合うものなのだという自覚を、震災によって強く持つようになった」。私は記者志望一直線という心意気ではないのですが、この先、どんな職種・職業に就くにせよ、今後何らかの職業人として生きていく上で大切な心構えだと、心に深く刻みました。

 初日後半は、このインターンを共催する一般社団法人「ワカツク」のコーディネーター松浦智博さんによる「事前研修」のワークショップです。数人の班に分かれて自己紹介をした後、他己紹介に挑みました。他人の紹介をするというのは、「二重の紹介」となります。ある人の「知ってほしい」という気持ちを自己紹介で受け、それを受けた立場から「さらに知ってほしい」という気持ちを込めてリレーされます。この体験を通じ、取材はもっと相手のことを深く聞く必要があると感じました。今後の取材活動では、その人の語り口や強調していたポイントなどをより意識して聞いていきたいと思います。

 また松浦さんからは、私たちの話を聴く姿勢について、再三指摘を受けました。具体的には「相手がもっと話したいと思わせる聞き方をしているか」ということです。相対した人間として、自分のうなずき方、視線の重ね方、笑顔での相づちの返し方…。わかりやすく意思表示をするのは、人間と人間が社会を作る上で不可欠のことだと再認識しました。

 チームワークの要点を学ぶワークとして、グループで紙を高く積み上げるゲームにもトライしました。このワークでは、自分たちに課せられた課題を的確に理解して行動する大切さを学びました。これまでは人の指示をそのまま鵜呑みにして、その指示の背後にある作業の目的や狙いを確かめる冷静さを欠いていた気がします。指示を受けたら、そこまで確かめるコミュニケーションを怠らず、これからの取材に取り組んでいきます。

 このブログを締め切りに間に合わせるだけで、既に息が上がりそうです。

 最後まで、ついて行けるのか?

 これから13日間、途中で力尽きることのないように駆け抜けます。

 


河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。