言葉の壁を超えるネットワーク  立命館大1年 渡部 葵



「マタ モラエルデショ」



 昨年3月11日の東日本大震災直後、仙台市内の避難所には外国人も身を寄せた。

支援物資として配られた飲料水のボトルを手にすると、ためらうことなくゴクリ、ゴクリ。

すぐに飲み干す姿が目に付いた。

一方、多くの日本人は水を少しずつ口に含む。





「外国人の中には『1本しかもらえない』ことの意味が分からない人も多いです。災害時だからこそ、言葉の壁を超える大変さを思い知らされました」



東北学院大4年のラミチャネ・アダルさん(24歳)は震災後、仙台市内の避難所に足を運んでは、日本語が分からない外国人のために、英語に訳す活動を自主的に行った。



さらにラミチャネさんは、震災後の被災地で命をも左右する情報をやり取りする、限られたツールとして力を発揮しているのがツイッターやフェイスブックであることに気づいた。



そこで、日本語ニュースなどを英語に翻訳しフェイスブック上で公開。それを見た友人らが、さらに多言語へと翻訳していった。

英語から中国語、中国語から韓国語、韓国語からネパール語…。

次々に「言葉のバトン」がつながれ、約200人規模のコミュニティー「Internationals in Sendai(インターナショナルズ イン 仙台)」ができた。

「言葉のバトン」が「言語の壁」を打ち破った。



震災から1年半。コミュニティーは、自由な交流の場となっている。いわば掲示板だ。しかし、メンバーの多くが外国人である。



「祭りでもなんでもいい。外国人と日本人が何かを一緒にやることが必要」と語るラミチャネさん。そこで築かれたあネットワークが、次への備えになる。

外国人は日本人に歩み寄ろうとしている。

日本人も、一歩踏み出すことが必要とされているのではないだろうか。







取材中のラミチャネさん。

ネットワークの大切さについて語る。


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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