「ガレキ」の重み 慶應大2年 肥田佳那
ガレキがまだこんなにも残っている。
そんなことさえ、私は知らなかった。
「記者と駆けるインターン」3日目、プログラムのメーンである農地再生ボランティア体験の最中に、私はハッとさせられました。
農地再生と地域おこしに取り組む地元のボランティア団体「リルーツ」に連れられ訪れたのは、仙台市若林区藤塚地区。
目の前が太平洋という沿岸部の集落でした。
「集落」とは言っても、そこには家々の基礎しかありません。その間に農地らしき空き地が広がっていました。
私たち学生26人に課せられたミッションは、テニスコート約2面分を、農地として再び使えるようにする、その最初の作業でした。
生い茂った雑草をスコップなどでさらい、ガレキを見つけては腰をかがめて~一つ一つ拾い、土嚢袋に収めます。
それを全員が何度も何度も繰り返しました。
この日は真冬に逆戻りしたような寒さでした。加えて西風が強く吹き付けます。
風を遮るものは何もなく、体が芯から凍えるような寒さで、体力と気力がみるみる奪われました。
みんなの努力が積み重なって、小さな山となったガレキの中に、私はスプーンと包丁を見つけました。
ひどく錆びていましたが、形はそのまま残っていました。それを見た時、私は胸が痛むのを感じました。
いまは「ガレキ」と呼ばれるそれらの品々はつい3年前まで、暮らしの中に生きていたことを感じたからです。
遠く離れた東京で、「ガレキ」「ヒサイチ」と気軽に口にしていたけれど、ここには確かに人の住まいと生活があったこと、
それが震災の津波によって一瞬で奪われた現実の重みを、再認識させられました。
思えば去年の夏、石巻市にボランティアをしにきた時も、同じことを感じていたはずなのに…。
この気づきは、被災地に足を踏み入れることでしか絶対に分からないのでしょう。
多くの人に被災地に足を運んでもらい、現地の重みを体感してもらうためにも、
あれから3年の月日が流れた被災地のいまを、私たちは少しでも伝えていきたいと思います。
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