市民が主役 新しい七夕まつりへ   東北大2年 洞口駿



自作の小さな七夕飾りを手に、鳴海幸一郎さん(46)は語り出した。


「私はあくまで黒子なんです」。


謙虚な言葉の裏には、決して譲れぬ熱い思いがある。


 


鳴海屋紙商事(仙台市若林区卸町)は創業130年以上の紙店だ。


仙台七夕まつりで展示される飾りの3分の2、約1500本の制作に携わる。


「七夕まつりは、商店街のお店が『隣に負けるものか』と豪華な飾りを自作し競うものだった」と6代目である鳴海さんは説明する。


高度経済成長期、商店街に県外の企業が相次いで進出した。


 


 



自作の七夕飾りを持ち、七夕について語る鳴海さん。学校での特別授業や講演会でも、七夕を伝え続けている


 


 


飾りを自作できない企業が大半だった。


代わって制作を担ったのが、材料を販売していた鳴海屋だ。


注文数が増えるたびに、七夕まつりの本質が変化するのを実感した。


「業者が作る市民不在の七夕」と揶揄されることもあった。


長らく続くバブル後の不景気で、豪華な飾りも減少。


「活気のあった昔の姿に戻せないか」 と苦心するも、時代の流れには抗えなかった。


 


東日本大震災で、商店街の人々が意識を変えた。


中止が検討される中、「七夕まつりを絶やしてはいけない」と奮闘した。


鳴海屋で飾りの注文を承る山村蘭子さん(82)は、「デザインの打ち合わせを入念に行うようになった。


従来の倍近い費用を出したお店もあり、制作に参加したいとの申し出も多かった」と語る。


社屋が大きな被害を受け、紙の裁断機が壊れた鳴海屋も必死で作業した。


 


チェーン店が増えた商店街。


雇用形態も変化した。


「お店が飾りを全て自作するのは、現状では難しい。時代に合った新しい七夕まつりが求められている」と鳴海さん。


 


多くの市民に参加してほしいと、各地で制作を指導する。


「市民が作った飾りが増えればより華やかになる。自分や知り合いの飾りを見ようと、訪れる人も増える」と期待を抱く。


市内の約8万人の小中学生が大きな飾りを制作する「星に願いを」プロジェクトは2011年に始まった。


今年で4回目となり、新たな名物となっている。


 


「震災は悲しいことだったが、前に進む必要がある」。


市民が主役の新たな七夕まつりへ。


「静の祭り」は、にわかに動き出している。

 


 


 


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。