生涯が終わるまで続けられる 東北工業大3年 小幡竜一

 


仙台市太白区長町にある公衆浴場「鶴の湯」は、ビルの2階で営業している。


 


浴場の中はテニスコート半面程の広さ。


中央と両端に洗面台があり、奥には浴槽が横1列に並ぶ。


経営者である木村仁則さん(67)は、「一番気を遣うのは掃除と湯加減」と語る。


銭湯全体の掃除を入念に。


湯はミョウバンでろ過し、綺麗な湯を保つ。


居心地良いお湯と浴場を提供するためだ。


 


 



 湯加減を確かめる木村さん


 


1950年創業。


木村さんは2005年に会社勤めをリタイヤした後、鶴の湯を開いた父の跡を継いだ。


夫婦で経営して9年が経過する。


浴槽は電気風呂、バブルバス、ブラックシリカ、ジェットバスの4種類。


毎週日曜日は月替わりの薬草風呂もある。


 


東日本大震災時、ライフラインが途絶え、5日間は営業が不可能だった。


ボイラーが故障し、銭湯の命である湯を沸かすことが出来ない。


公衆浴場にとっては死活問題だ。


ライフラインが復旧すると、すぐに営業を再開。


震災から約1週間、風呂に入れずにいた人は少なくなかった。


1日に来場者は500~600人。


外に長蛇の行列ができる程混雑した。


 


寒風の中で、12時間も待ち続けた人もいたという。


入浴という当たり前の環境を失った被災者にとって、風呂はそれだけ求められた。


入浴後の客は一様に、安どの表情を浮かべていた。


風呂は体だけでなく、心も温めた。


 


震災から3年経った今、被災者の生活は安定を取り戻しつつある。


現在の一般家庭のほとんどに風呂はある。


当然、公衆浴場の経営は苦しい。


それでも木村さんは銭湯を愛してくれる人のため、暖かな湯を張り、清潔な浴場を整える。


常連客の一人、赤坂幸授さん(55)は「ここはとても居心地がいい。


木村さんの人柄の良さもあって来ています」と語る。


木村さんの実直な仕事ぶりが常連客の気持ちを繋ぎ、また客の足を鶴の湯へと向かわせる。


木村さんは「銭湯は死ぬまで続けられる商売です」と仕事への愛を語る。


今日も番台で静かに、客の訪れを待っている。


 


                                                      


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。