銭湯とともに歩む   宮城大3年 鈴木あゆみ

 


 


扉を開けると白い湯気が立ち上り、全身を包みこむ。


床のタイルの上には丸みを帯びた黄色い桶が置かれ、左右の壁と中央にはシャワーが並んでいる。


湯は底が見えるほど透き通っており、客同士の会話の声がやんわりと響く。


 


「はーい、いらっしゃい、どうもね」


仙台市太白区長町にある公衆浴場「鶴の湯」の2代目オーナー木村仁則さん(67)の声は穏やかだ。


1950年創業以来、お客様に銭湯の温かさを届けてきた。


 


 



番台に座る木村さん=仙台市太白区長町の「鶴の湯」


 


 


「時代がどう動くかを理解しないと商売はできない」と木村さんは話す。


かつて市内に約80軒あった銭湯は、現在5軒を残すのみとなった。


設備の老朽化や経営難、客入りの悪化などで、やむを得ず看板を下ろす店が相次いだからだ。


 


時代の変遷と共に人々の生活は便利になり、ニーズも変わってきた。


長年番台から社会を見続けてきた木村さんは言う。


「銭湯が売っているのは風呂そのもので、レジャーや娯楽ではないからね。


どの家庭にも風呂がある現代で、風呂自体を売りにするのは間違っているのかもしれない」


 


東日本大震災から1週間後の3月18日、鶴の湯は営業再開にこぎつけた。


通常の10倍以上、600人ほどが鶴の湯に押し寄せ、外まで行列を作った。


久々に湯につかり体の芯から温まることで、身も心も冷え切っていた人々はぬくもりと安堵をかみしめた。


 


銭湯に足しげく通う人もいる。


長町に住む年配女性。


もちろん自宅に風呂はあるが、木村さんの人柄、ゆったりと広々としている浴槽を気に入って、毎日のれんをくぐる。


そんな声を届けると、木村さんは「ああ、そんな人も確かにいるかもね」と照れ笑いを浮かべた。


 


銭湯は地域のコミュニティを生み出す空間でもある。


いつも同じ時間帯に入浴する名前も知らない人と、顔見知りになる。


天気だったり、新聞をにぎわすニュースだったりの会話を交わして、それぞれゆったり湯につかる。


そこで生まれたつながりは、身体だけでなく心も、ほんのりと温める。


目まぐるしく変化を続ける現代社会と人々のニーズ。


しかしいつの時代も変わらない、心身を洗う「風呂」を提供し続けていく。


 


鶴の湯に後継者はいない。


のれんを下ろすその日まで、木村さんは静かに番頭に立ち、客を待つ。


     


--------

河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。