F班原稿 「陰から支える私たちの暮らし」

東北工業大3年小幡竜一、茨城大3年後藤結有、宮城大3年鈴木あゆみ


 




ゴォー。


塩釜市にある飼料工場のボイラー室に重低音が響く。


天井に配管が縦横無尽に走る10畳ほどの空間に、自動販売機大のボイラーが3台並ぶ。


飼料の乾燥工程に熱は欠かせない。


年間約5000トンもの商品を生み出す要がボイラーだ。


 




燃焼音に耳を澄まし、配管のつなぎ目から蒸気の漏れがないかを確かめる。


仙台市宮城野区にある「東日本ボイラ」取締役の菊池忍さん(37)は、工場心臓部の安定稼働に努める。


 



ボイラーに上がり配管を整備する菊池さん=塩釜市の「日本農産」


 


1972年創業、取引先は約100件。


北は青森から南は鹿児島まで足を運び、据え付けと整備、修理を担う。


 




ボイラーは燃料を燃やし、温水や蒸気を生み出す。


レトルト食品工場の煮込み工程、クリーニング店のアイロンスチーム、病院の手術器具の滅菌…。


ボイラーは現代社会の多様な現場で活躍している。


 


東日本大震災発生後、顧客からのSOSが相次いだ。


最初の現場は、太白区長町にある公衆浴場「鶴の湯」。


いち早く駆けつけ、営業再開を後押しした。


ライフラインが途絶えた街で、身も心も震えていた被災者にぬくもりと安堵を届けた。


 




行くことさえ困難な現場もあった。


津波に押し流された家屋や電柱、ひび割れた道路、中には遺体をよけながら進まざるを得ない道もあった。


それでも向かったのは「自分たちにできるのはボイラーを直し、世の中を回す一助になること」。


その一念だった。


 


社会の重責を担うボイラーだが、存在は華やかではない。


工場の片隅、ビルの地下室。


一般の人の目に触れない、陰の存在だ。


「でもね、取引先の製品を見るとうれしいね」


菊池さんは目を細める。


 


震災から3年。


被災地では工場が再起し、新設も相次ぐ。


復興の歩みの真っただ中にボイラー屋はいる。


 


掲げる目標は「100年続く会社」にすること。


「ボイラーのことなら何でもこい」と、自社の技術と担う使命に迷いはない。


工具を手に今日も、ボイラー室の扉を開く。




 


 


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。