確かな「被災地」伝えるために   立教大3年 小松廉

 


宮城県沿岸部、東日本大震災の津波被害があった区域は、復旧作業用の大型トラックが何台も走り抜ける。


トラックの群れの中に、一台の小型タクシーの姿があった。


タクシーを運転しているのは桜井慶哉さん(66)。


 



「多くの人に被災地の現状を知ってほしい」と語る桜井さん


 


47年間ハンドルを握り続けるベテランドライバーだ。


 


現在、宮城県の震災被害にあった地域を回り、当時の被害状況や震災前の街並みなどを語り聞かせる「語り部タクシー」に乗る。


桜井さんの勤める仙台中央タクシー(仙台市宮城野区扇町)とNPO法人宮城復興支援センターによって、語り部タクシーは2012年11月に生まれた。


桜井さんは営業開始当初から「語り部」を担い、1000人以上を被災地へ案内してきた。


 


だが、語り部タクシーに乗ることへの迷いもあった。


津波被害で自宅を失い、娘の夫を亡くしている。


つらい思いをしてきた。


それでも語り部を続けているのは、家族の後押しが大きい。


「パパの代わりに伝えて」


孫の言葉が、桜井さんの「今」を支える。


 


やるからには、と使命感を持ってタクシーを走らせる。


「被災地のありのままを見てほしい」と復旧の進まない沿岸部や仮設住宅を巡る。


「お年寄りの方は仮設から出たくても出られないんです」


地元の被災者の声や被災地の現状をあえて伝えるのは、震災の風化にあらがうためだ。


熊本から来た農協関係の乗客が、仮設住宅にサツマイモを届けてくたこともあった。


「桜井さんのおかげだよ」と仮設住宅の知人に感謝された。


桜井さんの「語り」によってできた、被災地への貢献。


語り部タクシーが果たす使命を感じた。


 


今では県外の被災地へも足を運ぶ。


自らカメラを回し、情報収集を行う。


持ち運ぶかばんには資料やメモを書き込んだノートの束。


「震災で被害を受けたのは宮城県だけでない。


岩手県にも行ったし、福島県の立ち入れない場所までも入ってみたい」と意欲を見せる。


 


定年を過ぎているが、「やめろと言われるまで走り続けますよ」。


被災地のために、アクセルを強く踏み込んだ。


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。