閖上の静かな訴え 法政大3年石崎健太

昨日の大雨が嘘のような快晴。


太平洋を望む小高い丘からは、東日本大震災の発生から3年半が経った津波被災地のいまが見えました。


宮城県名取市閖上。


前回、大学のゼミの仲間と訪れたのは1年前です。


その時に比べ、がれきの撤去がすっかり終わり、


防潮堤の整備が進み、慰霊碑が建ち、


確かに「何か」が進んでいるような印象がありました。


しかし、人がいるのは慰霊の場となった日和山の周囲だけ。


「ここに人の営みが戻るのには、あとどれだけの年月を要するのだろう…」


青空が美しい分だけ、むしろ切ない気持ちがこみ上げました。


 


インターン5日目、日報は法政大学3年の石崎健太が担当します。


今日の集合は通常より1時間早い9時でした。


理由は閖上の視察に向かうため。


朝のあいさつもそこそこに、大泉さんの「必要なもの以外は、ここに置いていって」という声に従い、バスに乗りこみます。


 


車内で大泉さんは開口一番、「傘を持ってきていない人は失格です」。


学生たちの間に緊張が走りました。


「たとえ天候の急変に出くわしても、自分で自分のことををまかなえる。


そういう『自助』のレベルの高くない人は、社会の構成員としてどうなんでしょうか」


自分たちの先々の読みの甘さや、その上での「備え」の質を問う言葉に、ドキリとさせられました。


 


大泉さんの指摘の趣旨は、こうです。


防災には「自助・共助・公助」の3つのステージがあるそうです。


自助は自分で自分の身をまもること、


共助は家族や隣近所、職場などでの助け合い、


公助は消防や警察、自治体などによる助けのことです。


 


防災・減災に関する取材経験が豊富な大泉さんは、


取材を重ねる中で、「公助には限界がある。社会に必要なのは、自助のレベルをいかに上げるか」だと気づいたそうです。


 


被災地の新聞社としてインターン学生に願うのは、「確かな自助の力を持った人になってもらうこと」と大泉さん。


その言葉を聞いて、インターン初日の研修で学んだ言葉を思い出しました。


「実行しなければ、やらないのと同じ」


災害に備えなければならないことは、誰でも知っています。


でも、備えを実践しなければ意味がない。


「備える人」になることを、あらためて誓いました。


 


気持ちを引き締め、閖上に向かいます。


道中、閖上でかまぼこ会社を営んでいた「ささ圭」の佐々木靖子さん(61歳)を乗せ、

日和山に到着しました。


まずはこの地で亡くなった方々の冥福を祈り、手を合わせます。



偶然、佐々木さんの知り合いである地元の家電店経営、伊東明さんに出会い、


閖上の歴史や現状について聞きました。


伊東さんは日和山の上にある閖上湊神社の総代長を務めています。


日和山の高さが6.3メートルであるのに対し、あの日襲った津波の高さは8.3メートル。


津波が去った後、山頂には民家の2階があったそうです。


 


流されてしまった社殿はインターネットで寄付を募り、鳥居は流されてきた松から自分たちでつくりました。



説明の後は、各自取材を始めます。


そうです!


今回の目的は閖上をテーマにした記事を書くこと!


初めて記事執筆に挑み、ほぼ徹夜で書き上げた原稿が昨日、


メタメタにされた記憶が生々しいだけに、


今日はうまく取材ができるのか、不安ばかりが募ります。


 


伊東さんからさらに詳しく話を聞く人。


慰霊碑をじっと見つめていた年寄りに、おそるおそる話かける人。


犠牲者の名が記された掲示の中に知人の名前を見つけ涙する人に、そっとレンズを向ける人。


学生たちは、被災地で取材することの難しさに心を振るわせながら、


それでも学生記者としての務めを果たそうと、懸命に挑戦しました。


 


内陸にバスで3分ほど走った閖上中学校にも訪れました。


地震に襲われた2時46分で時間で止まった時計。


その日あった卒業式に合わせ、きれいに彩られたままの黒板。


「触れてほしい」という遺族の思いで、子どもでも触れる高さに作られた慰霊碑。


現場に満ちていたのは「忘れないでほしい」という静かな訴えでした。



皆で慰霊碑にしっかり手を合わせた後は、閖上さいかい市場に向かいます。


震災前まで閖上で商売を営んでいた人たちの再起のためにつくられた商店街です。


「さいかい」には「再会」と「再開」がかけられています。


 


渾身の取材で、学生たちはみな空腹です。


昼食に、市場に店を構える「匠や」のお弁当と、「ささ圭」のかまぼこをいただきました。


食べ終わった人から取材再開。


ほぼ全てのお店が、取材に挑むインターン生で埋まっていました。



お忙しい中、快く取材を受け入れてくれた皆さん、本当にありがとうございました。


最後にセンターに靖子さんを迎え、皆で記念撮影をしました。


 


社外の、しかも津波被災地での初取材ということで、憔悴(しょうすい)しきって、バスの中で眠りに落ちる人も...。



明日は閖上記事の批評会!


悪夢の再来か、雪辱を果たすのか―。


果たしてインターン生は何を聞き、どう表現したのか!


こうご期待。


 


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。