閖上 記憶の記録 立教大3年 鈴木俊平

インターン6日目、ブログ担当は立教大3年 鈴木俊平です。


 


今日は宮城県名取市閖上地区を訪れました。


河北新報社本社前からバスに乗り、現地に向かいました。


閖上までの車中、震災前に防災報道を担当していた大泉デスクは、


震災前後の報道姿勢の変化について話しました。


 


震災前は、「広く、浅く」伝える啓蒙報道が主流でした。

それが震災後は「狭く、深く」相手と直接向き合い、震災から得た知恵や思いを伝えていこうというスタイルにシフトチェンジしたそうです。


その具体的な取り組みが、河北新報社の防災・減災ワークショップ「むすび塾」。

記者が防災の専門家と一緒に地域に出向き、町内会や学校単位で

参加者と防災のノウハウを共有する場を月一回のペースで開き続けています。


 


「助けられる人ではなく、助ける人が一人でも増えるように」     


大泉デスクの願いに共感するとともに、少子高齢化が進む今、

この思いの実現には大きな壁が立ちはだかっていると感じました。                 


 


閖上地区に入る前、バスにこの日のガイド役、佐々木靖子さんに同乗いただきました。

震災前は閖上で、手作り笹かま工房「ささ圭」を営んでいた方です。

震災による津波で、かまぼこ工場も本社も壊滅。

一時は廃業も考えたそうですが、多くの人の支援もあり、震災から約4か月後の7月1日に、内陸部に残った店舗を工房にして営業を再開することができました。


 


閖上地区で、バスを最初に降りたのは日和山。

亡くなった方々に対し、全員が冥福を祈りしました。


 



「津波ではなく、海が閖上を襲ったんです」


「波」という言葉では形容しがたいほど壊滅的な被害をもたらした津波の怖さを

佐々木さんは、そう表現しました。


 


頂上から周りを見渡すと、そこに広がっていたのは水平線。


「震災前は住宅街が広がり、お祭りも行われ、市民同士、みんな顔が見えていたのよ」と佐々木さん。東京にある神社などの支援もあり、お祭りは再開されたものの、日和山の周辺を神輿が回るだけで、参加者は少なくなっているそうです。



今、かつてあった市民の営みを感じられるものは、本当にわずかです。

家の基礎や、食器などの残骸が残るのみ。

賑やかだった閖上の姿を思い浮かべることは、外部の人間には困難になっています。




現地では街を再建するためのかさ上げ工事が行われていました。

工事は年内には終わり、3メートルあまり高くなった土地で

新しい街の再建が始まるそうですが、

「町の復興計画と市民の間には大きな溝がある」との声も耳にしました。

前進を素直に喜べない人がいるのは、切ないことだと感じました。


 


次に訪れたのは閖上中学校。

犠牲になった生徒ら14人の慰霊碑が建つ場所です。


2011年の3月11日、中学校では卒業式があり、

市教育委員である佐々木さんも出席していたそうです。

地震に襲われたのは、公民館で謝恩会が行われているとき。

その後、避難が混乱する中で、地区を津波が襲いました。


 


中学校前に建つ慰霊碑は、亡くなった一人一人の名前に、

訪れた人が難なく触れられるようにと、高さが1メートルほどに低く造られています。

石碑の表面は指でなぞった多くの跡が見え、色が薄れていました。

僕たちも一人一人が石の上の14人を指で追い、在りし日に思いを馳せました。



 


中学校の正門角に、「閖上の記憶」というプレハブ施設があります。

慰霊碑を守る社務所的な場所であり、

散り散りになった閖上の人々が集える場所であり、

そして震災を伝える場所として、

人気の薄い閖上地区にあっては数少ない人の出入りが絶えない場所です。

今なお多くの人が訪れています。


 


施設の広間で鑑賞したビデオには、市民が記録した津波の映像や、

震災から立ち上がろうとする地元の子供たちの姿が記録されていました。



震災後、「子供たちの心のケアが必要」との報道を多く見ましたが、

実際に現地を訪れてみると、むしろ大人たちの心の休まる場所が、

時の経過と共に少なくなっているという現実を知りました。


そのため、「閖上あみーず」という取り組みが行われています。

被災者が編み物をしながら当時の体験を語り合い、

心を開いていけるようにと設けられました。

制作したたわしやストラップなどが販売されることで、

被災者が自信を取り戻す大切な取り組みとなっているそうです。


 


閖上地区を離れ、バスで西へ15分。

佐々木さんが経営する「ささ圭」のお店にお邪魔しました。

店頭では、手焼きの笹かまぼこが次々と焼き上げられています。

ショーウインドー越しに見る職人の手技に見とれながら食べる

焼きたての笹かまは絶品でした。

このおいしさを家族や友人にも届けようと、

その場でお土産を購入する学生の姿が相次ぎました。



 


笹かま一枚でお腹いっぱいになる若者たちではありません。

お楽しみのお昼ご飯は、若林区蒲町の「おにぎり茶屋 ちかちゃん」でとりました。

被災した地元農家が中心となって始めたおにぎりメーンの食事どころです。



 


私の所属するE班は、すぐに取材に向かわなければならず、

残念ながらゆっくり味わうことができませんでした。

後日、あらめて訪問し、お店の方々のお話を伺いながら、おにぎりを頂きたいと思います。


 


津波被災地の閖上に訪問し、

あらためて「あの震災の記憶を風化させてはいけない」と強く感じました。


被災した建物などを震災遺構として残すかどうか、各地で判断が迫られています。


震災の悲惨さを後世に伝えるための遺構が必要だと考える人がいる一方で、

大切な人を失った場所に今も訪れることが出来ず、

見ることさえできない人たちも多くいます。


被災地に、被災者に寄り添うとは、どういうことか―。


僕自身、この自問に対する悩みは今日の閖上訪問でさらに深まりました。

震災を記憶を風化させないためにも、このブログを見てくださった方々にも

少しでも一緒に考えていただけたら、幸いです。


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河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。