「資金がゼロになり、解散も覚悟した」。仙台市若林区清水小路に拠点を置く女子プロレス団体「センダイガールズプロレスリング」(仙女)代表、里村明衣子さん(36)が東日本大震災当時を振り返った。里村さんは、震災による経営危機と、経営危機下での代表就任という二つの危機を、選手とともに乗り越えてきた。


 仙女は、2006年7月に旗揚げをして以来、仙台を拠点に試合やイベントを行っている。現在、里村さんを含め5人の選手が所属する。


 大震災直後は試合が組めず、興行収入が途絶え、道場や事務所の解約に追い込まれた。選手やスタッフは相次いで退団した。資金調達のため、里村さんは東京でトークショーを行い、前売り券を売ることもあった。


 被災地に物資を届けに行くと、人々が励まし合う姿があった。「来てくれてありがとう。いつも見てるよ」という声をもらった。自分は何も失っていないことに気づき、プロレスを通して元気を与えたいと思い、被災地での試合再開を“決意”。2011年4月から被災地での試合を始め、南三陸町や岩沼市、気仙沼市などを回った。「最初は試合をするのが怖かった」。だが、会場には多くの人がいて、逆に励まされた。


 震災直後は、プロレスラーで当時社長を務めていた新崎人生さん(49)が経営する飲食店の売上で、資金不足を補填していた。新崎さんに迷惑を掛けたくなかった里村さんは独立を“決意”。同年8月に代表を引き継いだ。初めは経営の仕組みを知らず戸惑ったが、選手間で連携し経営の立て直しに精を出した。道場のリングの横では、伝票や領収書の整理をする女子レスラーの姿が見られる。大会ポスターのデザインや仙女グッズの在庫管理も担っている。


 プロレスの会場で見られるレスラーの姿は、経営によって支えられている。「華やかさと口げんかの延長を描いたような激しさを伝えたい」と里村さんは、プロレスラーと経営者の2つの顔を持つエースとして、仙女の名を世の中に発信していく。



【「仙女魂」を胸に躍進する里村さん = 仙台市若林区清水小路 仙女道場】


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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