インターン後の今 東京大2年 足立愛音

 記者と駆けるインターン2019年春が幕を閉じてから早二週間経とうとしている。今期最後のブログは私、東京大法学部2年の足立愛音が担当する。

仙台市青葉区にある中古レコード店Volume1(ver.)の店主、三浦尉(やすし)さんを取材する石河さん(左)と川口くん(右)。三人四脚で二週間を駆け抜けた。 

 新幹線を降り、新宿駅にて小田急線に乗り換えようとせっせと歩いていたとき、ふと仙台が恋しくなった。あの広くて人通りが多過ぎず少な過ぎないちょうどよい道。中高時代を過ごし、今も頻繁に訪れる渋谷には仙台や東北を偲ばせるものが目にとまる。牛タンのお店を複数見つけたり、スクランブル交差点では大音量を流すスクリーンの隣におとなしく掲げられた東日本大震災を追悼する広告を発見したり。目の前にあるにも関わらず、多くの人の目には入っていないだろう。そう思うと虚しくなった。新聞について考えても、都心で主に読まれる五大紙の一面には河北新報と違い、今も定期的に震災復興の記事が載ることはない。信号待ちをしている間、「これが被災地との意識の差なのか」と強く感じた。

 先日、東日本大震災から8年を迎えた。3月11日をどう過ごそうかと考え、前日の夜にネットで震災関連のイベントなどを調べていた。一通り見たあと、以前から気になっていた裁判所の傍聴案内を検索。すると、東京地裁にて函館市による大間原発建設差し止め裁判の口頭弁論が行われることを知った。大間原子力発電所(青森県大間町)の建設を当分凍結するべきとして、大間原発の半径30km圏内にある函館市が国と資源開発(Jパワー)と争っている。函館の住民団体による訴訟もあったのだが、こちらは昨年3月に函館地裁で敗訴している。

 いざ傍聴しに行くと、学生らしき人は私一人。ほとんどが函館の住民団体のメンバーと思われる高齢者の方で、記者かなと思う人が二、三名いる程度だった。裁判中と裁判後の住民団体主催の報告集会では、度々福島原発事故と東京電力、東日本大震災時の行政の対応が繰り返してはいけない大惨事として語られた。

 言うまでもなく、東日本大震災がなければこの訴訟はなかっただろう。その点では、東日本大震災は「教訓」となっているはずだ。しかし、わたしたちはどのように震災の教訓を捉え、向き合っているのだろうか。今回の裁判とその後の集会では、東日本大震災の事後対応を最悪のシナリオとし、当時の「愚かな」対応を嘲笑い、見下す雰囲気があったと感じている。被災地の経験を教訓としながらも、被災地を突き放し、寄り添う態度とは随分離れた姿勢であった。大震災の記憶が風化してきている今、このような風潮は決して本件に限ったものではない。気をつけないと自分もそうなってしまう、と危機感を覚えた。

 東日本大震災で起きた被害、事故は繰り返してはいけない。もちろんそうである。それでは、次はどう防げばいいのか、より万全な体制をどう整えるか、考え実行する際にはそうできなかった人々と共感することを忘れてはいけないと思う。全く予期せぬ大災害に見舞われ、必死に生き延びようとしていた人々、どうにか対処しようとしていた人々がいる。そのなかで命を落とした人も大勢いる。ミスもパニックもする同じ人間として、果たして自分にはなにができていたのだろうか。共感する心と謙虚さを持ち、今後も震災復興について考え、携わりたい。

 来週は警察庁による災害対策についての講演会に参加する。インターンは終わっても、東北を想い、東日本大震災の教訓を吸収するのは今からが本番だ。

D班を担当して下さった成田デスクから思いがけない褒め言葉をいただいた3人はこの表情。

河北新報社 記者と駆けるインターン

このブログは、2012年夏から2019年春まで通算19回行われた、大学生向けの記者体験プログラム「記者と駆けるインターン」の活動報告です。 2019年夏からは内容や期間が異なりますので、ご了承ください。 詳細は最新の記事をご覧ください。