【F班原稿】熊谷農園(仙台市泉区)原木シイタケ 縁も育む

東北大3年 岸香也子

新潟大3年 八幡文菜

東海大2年 窪田昇


 ビニールハウスの中に、シイタケの原木がずらりと並ぶ。仙台市泉区朴沢は、シイタケ栽培が盛んだ。肉厚の身には、うま味がぎっしりと詰まる。「ここはシイタケ作りに向いた土地なんだ」。生まれ育った地で「熊谷農園」を営む熊谷幸夫さん(62)は目を細める。

 市販のシイタケの9割が工場の菌床栽培なのに対し、熊谷さんはあえて、昔ながらの原木栽培でシイタケを育て続ける。菌を植え付け、整然と並べられたほだ木の養分を吸い上げて、シイタケは丸々と育つ。

 妻の幸江さん(54)と2人で生産から販売まで全て担う。市場には出さず、30年以上直売一筋。「熊谷農園の原木シイタケ」は、並べて30分で売り切れるほど人気がある。直売担当の幸江さんは「手を休める暇もないのよ」とほほ笑む。食のプロにも選ばれる質を追求し、市内のホテルや料理店からも支持される。

 2011年3月、東日本大震災の発生に伴う東京電力福島第1原発事故で、農園は大きな影響を受けた。シイタケの放射線濃度は上昇し、一部に出荷制限がかかった。

 風評被害も追い打ちをかけ、安全基準を満たしたものも売れなくなった。売り上げは震災前の3割まで落ち込み、幸夫さんは廃業への不安から、ふさぎ込むことが多くなった。

 先の見えない日々に光が差したのは11年夏。苦境を察した懇意の取引先から「熊谷農園のシイタケをぜひ使いたい」と声が掛かった。自分のシイタケを心待ちにする人の存在が、希望になった。

 同業者からも支援があった。13年3月、熊本の農家から5000本ものほだ木が届き「立ち上がる勇気をもらった」(熊谷さん夫妻)。15年にはロゴマークを作成し、販売戦略にも注力した。売り上げは徐々に上向き、現在は震災前の水準まで回復した。

 一つ一つの出会いによって、道が開けるのを実感してきた熊谷さん夫妻。「多くの人に愛されるシイタケを、作り続けたい」。その思いを原動力に、伝統のシイタケを未来へつなぐ。


「人がおいしさを褒めてくれるのがうれしい」と話す熊谷さん夫婦


河北新報社 記者と駆けるインターン

2012年夏にスタートした、大学生向けの記者体験プログラム。 東日本大震災の被災地で、人に会って話を聞き、大事なポイントを見つけ、限られた字数で記事にする―。 そうした体験は、ジャーナリスト志望者のみならず、どんな職種職業にもつながる「生きる力」を養います。 このブログでは、学生の活動成果である記事と、活動中の日々の様子などを随時発信していきます。 募集告知もこちらで行います。

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