被災地での挑戦、野蒜唯一の食堂   東北学院大3年・橋本康平

 




東松島市野蒜は東日本大震災で大きな被害を受けた。曲がったガードレールや根元から折れた鉄塔が津波の恐ろしさを伝える。災害危険区域に指定され、周囲にはスーパーもコンビニもない。「海鮮堂」の青いのれんが際立っている。



オーナーの門馬喜三さん(61)はカキ養殖業を営み、復興に携わる工事関係者、地元漁師、被災地を訪れる人々に食事を出す。



2011年1月に開業してわずか約二ヵ月で震災による津波で流された。店の骨組と800万円の借金だけが残った。「将来の展望も考えられず、店を辞めるようかとも思った」







牡蠣を自ら焼いて振る舞う門馬喜三さん













再建のきっかけは「野蒜で唯一の食堂として頑張ってみたらどうか」という知人の言葉だった。「借金も返さないといけない。悩んでいても状況は変わらない」。何もかも流された更地で門馬さんは決意した。



国からの補助金や復旧のため集まった100人を超えるボランティアの協力もあり、再開にむけて必死に頑張った。「人の助けがなければ、再建はできなかった」。2012年4月に再開できた。



初めの頃はカレーとうどんだけしか店にだせなかったが、働く人々が連日訪れた。半年後には、本業のカキ養殖を復活させ、カキ料理を提供した。「やっとここまでできたな思った」。売り上げは1日あたり2万円〜3万円となり、安定しつつある。



だが、門馬さんは不安を常に抱えている。「復興関係者はいつまでもいるわけじゃない。以前のように海水浴客が戻ってくるかどうかも分からない」。将来の見通しは依然として不透明のままだ。



「それでも続けられる限り、頑張っていきたい」。海鮮堂は、復興のため働く人たちに応えるようにほぼ無休で営業している。「カキ料理が新鮮でおいしく、野蒜にくる際は必ず立ち寄る」と、利用客の評判は良い。必要とされる限り、海鮮堂は野蒜でこれからもあり続ける。




 


 


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