守りたい つないだ味 D班原稿
明治大2年 須川拓海
東北学院大2年 平田真莉子
福島大2年 前川未歩
東北学院大2年 平田真莉子
福島大2年 前川未歩
ジュワッ。
きつね色のコロッケが顔を出した。
丁寧に紙に包み、客に手渡す。
サクッ。
小さな店の前に、衣が弾ける軽やかな音と客の笑顔が広がった。
仙台市青葉区の仙台朝市にある斎藤惣菜(そうざい)店。
「ころっけや」の看板を掲げ、店主の斎藤達也さん(30)が切り盛りする。
21種類を並べる揚げ物の中で、一番人気は「じゃがじゃがころっけ」。
芋の優しい甘味に加え、1個65円の安さもあって1日1500個が出る。
「ころっけや」の看板を掲げ、店主の斎藤達也さん(30)が切り盛りする。
21種類を並べる揚げ物の中で、一番人気は「じゃがじゃがころっけ」。
芋の優しい甘味に加え、1個65円の安さもあって1日1500個が出る。
【揚げたてのコロッケを手渡す斎藤さん。3代にわたり愛されてきた味は、仙台朝市の名物だ】
創業は1958年。
移り変わる仙台の街並みの中で58年間、「変わらぬ味」を作り続けてきた。
「材料は朝市で仕入れろ」。
約70軒が肩を寄せ合う朝市の一員として、創業者である祖父の遺言を守ってきた。
コロッケの主役は「朝市価格」で手に入れた男爵芋。
あえてレシピには残していない秘伝の味に仕上げるため、
日によって変わる芋の質に合わせて調味料を微調整する。
創業から親子3代、その日その日のさじ加減で同じ味を貫いてきた。
移り変わる仙台の街並みの中で58年間、「変わらぬ味」を作り続けてきた。
「材料は朝市で仕入れろ」。
約70軒が肩を寄せ合う朝市の一員として、創業者である祖父の遺言を守ってきた。
コロッケの主役は「朝市価格」で手に入れた男爵芋。
あえてレシピには残していない秘伝の味に仕上げるため、
日によって変わる芋の質に合わせて調味料を微調整する。
創業から親子3代、その日その日のさじ加減で同じ味を貫いてきた。
2011年3月、平穏な日々を東日本大震災が揺るがした。
斎藤さんは2代目の父から、店の味を手取足取り受け継いでいた時期。
ライフラインが止まった仙台で、店は揚げ物に欠かせないガスを断たれ、
1か月もの休業を余儀なくされた。
再開の日の朝9時、店の前には行列ができた。
「待ってたよ」。
コロッケを愛おしそうに頬張る姿に、斎藤さんは思わず目を潤ませた。
客が店先に並んだのは、空腹を満たすためだけではない。
「ホッとできる『いつもの味』が求められていた」。
斎藤さんは伝統を守り続ける意味をかみしめた。
斎藤さんは2代目の父から、店の味を手取足取り受け継いでいた時期。
ライフラインが止まった仙台で、店は揚げ物に欠かせないガスを断たれ、
1か月もの休業を余儀なくされた。
再開の日の朝9時、店の前には行列ができた。
「待ってたよ」。
コロッケを愛おしそうに頬張る姿に、斎藤さんは思わず目を潤ませた。
客が店先に並んだのは、空腹を満たすためだけではない。
「ホッとできる『いつもの味』が求められていた」。
斎藤さんは伝統を守り続ける意味をかみしめた。
14年冬、師でもある父が病で逝った。
店を継ぐ覚悟も固まらぬ中、突然背負う半世紀の重み。
自分に店を守れるか─。
不安を乗り越える力となったのは、震災後に再確認した「変わらぬ味」の価値だった。
「味を守ることこそが、お客さんにも親父にも、何よりの恩返し」。
その一念で厨房に立った。
店を継ぐ覚悟も固まらぬ中、突然背負う半世紀の重み。
自分に店を守れるか─。
不安を乗り越える力となったのは、震災後に再確認した「変わらぬ味」の価値だった。
「味を守ることこそが、お客さんにも親父にも、何よりの恩返し」。
その一念で厨房に立った。
「ごちそうさま、また来るよ」。
客の声を力に、分身をまた1つ、油に放った。
客の声を力に、分身をまた1つ、油に放った。
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