小さな日常 守り続ける店  福島大2年  前川未歩

  さくっ。ランドセルを背負った男の子がコロッケにかじりつくと、軽やかな音がはじけた。買い物袋を抱えた主婦も、旅行かばんを持った観光客も、さくっ。仙台朝市(青葉区)の一角にある斎藤惣菜(そうざい)店「ころっけや」は、ほかほかの湯気と客の笑顔で包まれる。店を切り盛りするのは、店主の斎藤達也さん(30)。メンチカツ、串カツ、エビフライ…。21種類並ぶ揚げ物の中で、看板メニューは「じゃがじゃがころっけ」だ。男爵芋の甘味を生かした優しい口当たりが人気で、1日約1500個出る。


 戦後の闇市から生まれた仙台朝市は、移り変わる仙台の街並みの中で人々の暮らしを支えてきた。ころっけやの創業は1958年だ。昔も今も、コロッケは手軽におなかを満たす庶民の味方だ。「いつもありがとね」「また来るよ」。店先に響く普段着の会話。現代が見失ったような、ほっと一息つける味と交流に、客足が絶えない。


 2011年3月、半世紀を歩んだころっけやは苦境に陥る。東日本大震災だ。仙台でもライフラインが止まった。油を熱するガスが断たれ、コロッケを揚げることができない。再開にこぎつけた1か月後、開店の朝9時には、店の前に我先にとコロッケを求める常連客が列をなした。さくっ。安堵したようにコロッケを頬張る客を見て、斎藤さんは思わず目を潤ませた。災禍の中で再会できたいつもの味。「心の平穏を取り戻す、お役に立てたのかもしれない」。斎藤さんは店の看板を守る意味をかみしめた。


 08年に店を手伝い始めるまで、コロッケを揚げたこともなかった。初代の祖父から続く秘伝の味を手取足取り教わっていた14年冬、師でもある2代目店主の父を失った。半世紀の伝統を突然託された。不安に押しつぶされそうになり、「店を閉める」という選択肢さえ頭をよぎった。斎藤さんを奮い立たせたのは「お客さんを、従業員を、親父を、がっかりさせたくない」との一念だった。店を守り抜くことは、これまで支えてくれた人たちへの恩返しだと心した。


 震災から5年、今日も斎藤さんは厨房に立つ。「ころっけ1つ」。客を笑顔で出迎えた。



揚げたてのコロッケを手渡す達也さん。「ころっけや」は今や朝市を代表する人気店だ。


 


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河北新報社 記者と駆けるインターン

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